あちきが阪神タイガースファンであったころその4(上戸 彩に捧げます)

第1回 新井亮司とミスタールーキー桜井広大
ルーキー桜井広大出現!

 新井が突然、声をかけてきた。2月2日室戸キャンプ2日目の昼の休憩時間に少し顔を合わしたときだ。
「桜井のことばかり、褒めていたでしょう」「いや、そんなことはないよ。たまたま、知り合いのファンが話かけてきて、ウンウン!うなずいただけですよ」
新井はさらに突っ込んできた。
「ボクの入団のときと、桜井とどっちが上ですか」
「そりゃ」と少し間を置いて、
「桜井ちゃうかな!」といわざるを得なかった。
 キャンプ2日目とはいえ、桜井は平塚ファーム打撃コーチが投げるゆるいトスにも体をつっこまずに、きれいにネットにティーを打ちこんでいた。それを見た目利きのファンのMさんが「うまいこと、ゆるい球でもティーしとるやろ。新人としてはうまいよ。ワシら感覚的なもんしかよういわんけどな」と言っていたのが、ネット越しの新井の耳に入ったらしい。
 新井は2002年1月の鳴尾浜での自主トレから、新人の入団をチェックしていた。当然である。2年目の昨年、無邪気に「ボクは濱中さんのようにファームで四番を打って、チームの勝利に貢献したい」と意気込で臨んだシーズンだった。しかし新人・梶原康司(九州東海大)の入団によって、その目論みが見事にはずれた。そして、奈落の底に落とされたような落ち込みを経験していた。
「だけど…」
 私はためらいながら「新井君の教育リーグでの北神戸での、あのホームラン見てしまったからな」と言った。
「あれ、見てたんですか」と新井の表情が輝く。
「ウン、見た。オリックス開幕投手候補の小林から打った左中間のホームラン、新人の高校生とは思えない当りやった」
 一昨年の3月25日サーパス神戸戦、北神戸のあじさいスタジアム、球場開きの試合で左中間にライナーで放りこんだ当りで、タイガースの新井は長打力がある新人高校生のイメージが定着しかかった。
 小林が開幕への調整登板でストライクを取りにきた2球目ストレートを放りこんだ素質はタイガース待望の右の大砲候補にふさわしかった。
 冒頭の桜井(PL学園・4巡目)は2年で夏の甲子園に出場している。3年生時は不祥事で対外試合禁止になり、チャンスをのがしていたが「あのPLでもまれてるからな」と言ってしまった。
 新井は新人が合同自主トレで入寮したとき、鳴尾浜の室内練習場で桜井、藤原の存在を気にしていた。
「桜井は背は大きくないでしょう。藤原さん(立命大・6巡目)は長距離砲といわれてきたけど、去年の梶原さんもそうだったでしょう」と私にさぐりを入れていた。そこには、飛ばすことにかけては、負けないという自負が込められていた。

室戸キャンプが始まる

 ファームが春季キャンプをする室戸の広域運動公園野球場は絶景の室戸岬展望台の少し西の山間部を切り開いて造られた。「2002年よさこい国体」会場のひとつになる球場だけに、両翼100メートル、センター122メートルで、ファウルグラウンドもたっぷり確保された立派な球場である。昨年は未整備で芝生のつきも悪かったが、今年はサブグランドの土も整備され、投内連係などの練習にも支障はない。また、ブルペンも一塁側に新設された。
 2002年2月1日、ものすごい星野監督人気でマスコミは安芸に集結していた。しかし、今年も室戸はマスコミは少なく、閑散としファンもちらほらの中、キャンプ初日を迎えた。
 アップの指示を出す中山トレーニングコーチの声と選手の掛け声が響くだけ。特別大きな声というのではない。静かなスタートだった。昨年は初日、前日の雨で体育館でアップ。室内でのフリー打撃で、岡田ファーム監督がいきなり、根本相手に投げて、チームを引き締めていた。
 キャンプ初日を終わって報道陣に一、二軍の人選を問われると「これは、振り分けや。一軍より力ある選手もおる」と今岡や坪井や八木などを念頭に置いてか、岡田ファーム監督が少し語気を強めて語ったところに、昨年のチーム事情の複雑さを垣間見たものだ。
 しかし、今年は何度も島野ヘッドコーチはじめコーチ会議で打ち合わせしての一、二軍の人選だった。しかも紅白戦では、常にファーム選手にもチャンスを与えるシステムが採用されるということで、チームの一体感がでていた。
 プロ入り初めてのアップ中に新人・喜田(福岡大・7巡目)が足をひきづって、不名誉なリタイアをした。
 しかし、新人の桜井は元気にアップを終え、ベースランニングやペッパーをこなした後、フリー打撃を迎えた。
 今年1月11日、私は桜井を初めて近くで見た。背は180ぐらいだが、肩幅がひろく鋭い目つきに「さすがPLでもまれたワルだけある、迫力ある」と、思ったものだ。また、目の前で見たティー打撃がとても高校生出身とは思えないフォローの大きなスイングだったので、印象に残った。その横では早稲田出身の東(9巡目)がティーを打っていた。

室戸キャンプに藤田平さんが

 2月17日、室戸も安芸と同じようにアップのころから雨が降り、メニューの前倒しが行われ、午後は室内打撃場と鳥籠ケージでの特守メニューが行われていた。
 全体練習が終わり桜井が通路のロッカー代わりのベンチに座りため息をつき、右手のテーピングを気にしていた。横には新井もいた。さらに、自主練習を促すように平塚ファーム打撃コーチが桜井に言う。
「桜井! オレはお前に何と言った」
桜井はちょっと考えこむ。
平塚ファーム打撃コーチは畳みかけるように、「タイガースの四番打とうと思ったら、人の倍打ってちょうどいい。人が100練習したら200練習しろ!」
「桜井! 夜も来いよ!」有無を言わさぬ迫力で新井にも聞こえよがしに言い放った。しかし、桜井はくぐもったあいさつだけで、アンダーシャツの着替えを始めた。横の新井も着替え始めた。新井はいつのまにか、コーチ連中から「ブッチャー」と呼ばれている。
「K1行こうかな」と格闘技選手のようなマッチョな身体を見せ冗談をいっていた。私は格闘技には少しうるさいので(見るだけやけど)、「その筋肉は格闘技の筋肉とは違う。痛みや関節技には、ボディービルダー型の筋肉は向かんと思うけど…」というと、新井は「マウント取られ殴られたら痛いやろな」とあっさり「じゃ辞めます」と言った。
 その前に少しだけ桜井に取材を試みた。「藤田平さんに、どんなアドバイス受けたんですか」
「下半身の使い方、体重移動などいろいろです」とハッと息をのみ、打撃練習で詰まらされた右手を隠すようにバットスイングの構えをして見せた。
 実は17日、私は鳥籠ケージでの内野特守の練習を見ていて気づかなかったのだが、あの2000本安打の藤田平元監督が立ち寄っていた。室戸の室内打撃場は一塁側のプレハブで2打席あり、鳴尾浜の室内練習場と広さがほぼ同じだ。そこで、ティーをする桜井に藤田平さんが岡田ファーム監督、長嶋、平塚両打撃コーチを交えて、桜井に個人指導していたのだ。藤田平さんは田淵、星野、鈴木啓志など団塊世代の英雄であり、私ら同世代人ファンにとっては雲上人だ。だが、監督としては、方法論で大きなつまずきをしたことは否めない。その藤田平さんが、突然、記者も連れずに、岡田ファーム監督激励と桜井視察。助言。私が鳥籠ケージの練習が終わり室内練習場の戸を開けたときの緊張した空気は、藤田平さんの助言が終わるときだったが、見てはいけないものを見た気がして、すぐその場から離れた。
 また、平塚打撃コーチが現れ、「新井はどうする!」と言うと新井は「スクワットやります」と言う。
「アホ! そんなんやるんやったら、バット振れ!」と言ったが、新井は聞き流した。ケージでのスナップスローの特守でヒザが笑い、悪戦苦闘だったのが、頭にあったのかもしれない。だが、私は心の中でつぶやいた。(「ウエートの重いもの背負わないでやった方がいいんじゃないかな」)。
 桜井も「肩まわりちょっとほぐしたいんで、すこしやります」とバーベルをあげる仕草を平塚打撃コーチに示した。
 新井と桜井はキャンプ初日からフリー打撃の組が一緒だった。
 マシーン2台が設置された室戸の広い球場で二人のフリー打撃が始まった。桜井は最初こそマシーンのスピードにタイミング合わなかったようだが、慣れてくると大きな当りをするようになった。横で打つ新井はそれを意識して、力んで詰まらせるシーンもしばしだった。125スイングで25本の柵越え。新井を少し上回った。その後の居残り特打では、さすがにバテたようで、詰まった当りが多くなったが、報道陣に囲まれた岡田ファーム監督は「あれはもって生まれたもんやな。遠くへ飛ばすのは、新井と打ち方は違うけどな。桜井はうまく運ぶ。金属バットやったのに、すでに木(のバット)にも対応しとる」と賛辞。「ティーバッティングからちょっと違う。楽しみやな!」と語り高校生出身では、新庄剛志ジャイアンツ)入団時より上の評価を下した。
 翌日、一面というわけにはいかないが、桜井の長打力は囲み記事で紹介された。背筋力272キロがダテじゃないことを証明することになった。もっとも新井の背筋力は300キロある。石原コンディショニング担当からは、「もう、大きな筋肉はいらん。ボディービルダーになるなよ」といわれており、新井に必要な筋肉は関節周りのインナーマッスルといわれる小さな筋肉。また初動負荷理論の小山裕史(ワールドウイング主宰)さんがいう「どんなに強い背筋や胸筋があっても、肩、腕が柔らかく動かなければしなやかなスイングはできないのです」という、ことに必要な筋肉。新井がこのことをどの程度理解しているかはまだ、わからない。

梶原康司上々のキャンプイン

 他方、梶原は初日から絶好調に見えた。スイングの安定感が増した印象があり、さらにジャンボ軍団で平下と自主トレして、十分に下半身もつくってきた印象だった。1クール目の終わりに岡田ファーム監督に梶原の印象を尋ねた。
 「打撃は一番いいんじゃないか。しっかり身体を作ってきている。足は速くはならないやろうけど、身体のキレなど状態はいい。とにかく、(打撃、守備、走塁…)全体にさらなるレベルアップすれば、(一軍の)チャンスもあるやろ」との評価。「もちろん、実戦で結果でるかどうかやけどな」
 風岡守備走塁コーチも梶原には「秋からずっとやってきてオフに自分で(目的)意識持って取り組んできた成果、練習はウソつかない、やってきたものがでてきている」と守備面でも充実ぶりを評した。しかし本人は「守りでキレでてますか? いま、パンパンに張って、これ書かないでください。本当はかなり張りきていて、疲れ気味です」と言ってから、その発言を取り消した。
 2月11日の紅白戦で一、二軍、ボーダーの選手として、真っ先に一軍テストをされた。2月16日の室戸でのシート打撃でも3打数2安打と実戦に強いところを発揮していた。
「選手は当然、そういう向上心ないといけないと思います。もちろん、昨年にくらべてパワーもつけてますよ。梶だけじゃなく、選手はみんな向上心ないとね。1打席目左の弓長からしぶとくタイムリーね。梶は実戦向きな選手ですね、後は、いかにミスショットを少なくして、確率を挙げるかのレベルに来ている選手」と平塚打撃コーチは梶原の成長を認めてはいた。しかし梶原は「まだまだ全然です」と自分に厳しく語っていた。ファームの投手と一軍の投手とは力が違う。ちなみに、この日のシート打撃では一軍に昇格した平下はじめ松田も目立ち、狩野は3打数3安打、中谷が二塁打など総じて、いい打撃が目立った。また、関本は初球打ちで2安打を打ち「積極的な打撃が関の持ち味、彼もファームでは高い技術もってますからね。本人の力でしょ」と平塚打撃コーチもこと、打撃向上に関しては心配していない感じだった。

星野監督室戸キャンプ視察!

 2月15日10時過ぎ、室戸キャンプに報道陣が続々と詰め掛けた。星野監督の室戸キャンプ視察が行われた日だ。カメラマンに番記者に特別報道の全国区のテレビクルーも押し寄せて、室戸キャンプ始まって以来の賑わいを見せた。
 フリー打撃では、桜井と高波が最初の組となり、星野監督、岡田ファーム監督がケージの後ろで見守る中、打撃投手として、星野伸が投げた。
 桜井は視線を一心に浴びる中、星野伸の球を打ちつづけた。甘いストレートは打ちごろなのか、バックスクリーンフェンスに当る打撃の後、左中間を含むレフトオーバーの柵越え2本を打った。しかし、バットを4本折るなどカーブを見せられると詰まって上体で打ちにいく欠点を同時にさらけだした。
 星野伸は「ルーキーとしては力ありますね。ちょっと普通の高校生じゃないですね。力ありますね」と桜井のパワーには174勝投手も驚きを隠せなかったようだ。
 だが、目の肥えたファンの目は厳しかった。
「上体と下半身がバラバラとちゃいますか。あまりようないね」と自ら私設応援団を組織して会長をしているKTさんは、一枝さん(上宮高)の後輩で高校野球も経験しているだけに、技術的なところをよく見ている。横にいたMさんの見方も一致した。
「星野伸は褒めてましたけど…」と言うと
「そりゃ、新人の高校生を褒めにゃ、余裕でしょ」とニヤと言い放った。
星野監督は「力いんでいた? それでいいじゃない。上(一軍)をおびやかす可能性を持ってる子やからな。一気に飛び出す可能性もあるが今の力じゃまだまだ勝てんで。勝ったら寂しいで。でも近い将来めちゃめちゃ楽しみやね」と将来の四番候補を確かめてリップサービスをした。「注目されるのはありがたい。期待はずれにならないように頑張りたい」と桜井。
 その後、さらに300スイングの特打が行われたが桜井の右手には異変が起きていた。
 特打を終えた桜井はロッカー代わりの通路のベンチに座り、悔しそうにつぶやいた。「2、3日前から詰まってばかり!」と右手を痛そうにに眺めていた。横には新井、前には藤原がおり、長嶋打撃コーチが桜井の手を見ながら、「新井でも、右手にそんなに豆つくってへんぞ!」
「なあ、新井!」
と新井の右手を見せるようにうながした。新井は「エエッ!」とちょっと、(「おれは桜井には負けてないぜ」)と胸を張ったように見えた。前に座る藤原は自分のスイングができないのか、考えこむように手の平のテーピングを触っていた。
 桜井の右手、親指付け根の腫れはその時、痛みの限界にきていた。翌日、猿木トレーナーから桜井が右手親指付け根を痛めて、打撃練習中止の広報が発表された。
 前日、右手を見ながら悔しそうに下目使いに、私を見た桜井の目つきは印象的だった。桜井が打撃練習を再開したのは、20日のことである。この日は久万オーナーが室戸キャンプを視察。50スイングで柵越え6本だったが、バックスクリーンに2本放りこんだ。桜井は星野監督の将来の四番打者の期待の発言にも「そんなことにビビってたらだめでしょう」と強気を通していた。

四番・桜井! 英才教育始まる

「午後に鳴尾浜覗いて、もう、特打の時間やったけど。桜井スゴイわ。もう、桁違いの技術やね。バットさばき。キャンプ中盤は疲れて、右手痛めてバラバラやったけど、素晴らしいスイングで、滞空時間長い打球で、鳴尾浜狭いから柵越えバコンバコン!」
 3月27日、室戸キャンプを終えて帰ってきた桜井はきれいにボールを上から叩き、キャンプ中盤の打撃とは見違えるようになっていた。私は興奮して、気持ちの高揚を抑えきれない気分を冒頭のように知人にメールした。
 室戸でのファームキャンプ打ち上げに際して、岡田ファーム監督は桜井の〈超英才教育〉を決め「ずっと試合に出してどれくらい伸びるか楽しみや」と教育リーグの雁の巣でのホークス戦から四番に抜擢して育成することを名言していた。
「期待? 自分はプレーで返すことしかない。一発でればいいですね」と桜井は自信満々だった。移動日の練習(3月1日)でも、上から叩くスイングは見事でセンターバックスクリーンに当てる放物線を描いていた。キャンプ中旬、星野監督視察後の特打では、岡田ファーム監督が何度もマシーンを止めて、ベース付近にバットで図を書きながら下半身の使い方などを教えていた光景が思い出される。プロ入り初のキャンプを無事終えて、疲れが少し取れたのか、桜井のスイングは芸術的にさえ見えた。昨年、自由契約になった高山が調子のいい時、スピンの利いたいい打球を放っていたが、どちらかというと、アッパー気味のスイングだった。しかし、桜井の場合は上から軽く叩いてバットの振りぬきを鋭くして、大きくフォロー取るだけで、楽々と柵越えのアーチを描いていたのだ。
 他方、新庄がメジャーに行くとき、「未来の四番候補」といわれた新井は自ら方向転換を余儀なくされていた。自分は遠くへ飛ばすことにかけては、一番になりたいという気持ちで練習に取り組んできたが、「ホームランバッターといっても、ホームラン率は1割ぐらいじゃないですか。ボクは今年は実戦での結果にこだわります」と最初からバットのグリップを少し余して持ち、シート打撃や(ファームの)紅白戦でも実践していた。しかし、桜井への対抗心は強く、「室戸キャンプから帰ってきて、ボクびっくりしたんです。ホラ見てください。あ・ら・い・ネットがスコアボードに張ってあるでしょう。コレ、いいネタになりませんか」と二人しかいない報道陣に新井ネットの存在をアピールしていた。
 よく見ると、スコアボードには電磁式のボード保護のネットが緩衝材のように張ってある。あれは、間違いなく秋季練習で新井がスコアボードの二回裏のところまで放った打球がスコアボードの破壊につながる恐れがあったために、室戸キャンプ中に設置されたネットだった。「ボク小笠原さん(球場整備担当)に聞いたです。マジッスか?」
 新井は打撃の確実性を求めて、下半身からの始動のタイミングをこのキャンプの重点課題として、長嶋打撃コーチと二人三脚で取り組んできた。しかし、新人の入団で精神的な危機感を持ち、精神面では成長してはいるが、現実はその日の調子でムラがありすぎ技術的には牛歩の進歩しか見れない感じだった。
 そんな折、大学出の新人の藤原と喜田もプロの雰囲気に慣れ、持ち前の打撃力を発揮しだしていた。
 岡田ファーム監督の桜井英才教育プランは五番に関本を置く打順構想だった。「(桜井が)打てなくても、目立たんやろ。最初は結果が出ないだろうが、それは試練や。慣れていって打破していく」

四番・レフト桜井! 雁の巣デビュー

 雁の巣海の中道雁の巣レクレーションセンターにある。さらに中道をクルマで走り西戸崎まで行くと、ホークスの室内練習場がある。雁の巣球場は雲が低くたれこめ、前日までの陽気とは裏腹に風が冷たかった。隣接して、アビスパ福岡のクラブ施設とサッカー球技場が三面ある。雁の巣球場の周りには少年野球場、ソフトボール球場が何面もある。だだっ広い敷地は、牧歌的で土の匂いが草野球の原点を思い起こさせてくれる。
 ホークスの地元だが、一軍は福岡ドームで試合をするためか、土曜日だというのに、ホークスファンは熱心な数人だけが、選手の入場を待ちサインを求めていた。
 試合前の練習もコーチの絶対人数が少ない所為もあるのか、静かに行われていた。
 私はタイガースナインの到着を待ち、桜井がどのような表情で入ってくるのかに興味があった。10時30分ごろバスが着きタイガースナインが球場入りした。桜井は特別緊張した雰囲気ではなかった。自分がタイガースでも異例の教育リーグとはいえ初戦で四番に座ることなど意に介さないように、アップ(準備運動)の列に消えていった。
 12時過ぎても、土曜日だというのに、観客は増えなかった。鳴尾浜より広い個別椅子座席には空白が目立つ。地元のタイガースファンが集まってきて、やっと桜井・四番の話題が出るようになった。所詮ファーム、星野監督人気の一軍はグリーンスタジアム神戸でブルーウエーブとの試合。番記者もN紙しか来ていない。
 雁の巣球場は風が強く舞っており、どの方向でも逆風気味だった。高く上がった打球はスグに追し戻される。両翼98メートルでバックスクリーン122メートルの球場は広い。ファウルグラウンドもたっぷりある。果たして桜井は歴史的快挙?の一発を放つことができるのかどうか、両チームのシート打撃も終わり、固唾を飲んでアナウンスを待った。「お待たせしました。本日の先発メンバーをお知らせします。先攻阪神タイガース、一番・センター高波、二番・ショート斉藤、三番指名打者・藤原、四番レフト桜井!」ここで、観衆からどよめきが少し起こった。地元のタイガースファンで福岡剛虎会(新庄剛志後援会)のスタジアムジャンパーを着たファンの姿も見える。アナウンスはつづく。「五番・セカンド関本、六番・ライト曽我部、七番・サード新井、8番・キャッチャー中谷、九番・ファースト梶原康司、ピッチャー山岡!」
 ダイエーの先発は左腕の土井。社会人(新日鉄八幡)から入団して7年目、30歳の中堅投手で一軍でも通算5勝4敗の記録を持つ。
 一回表タイガースは高波の三振、斉藤ファーストファウルフライ。藤原サードゴロで簡単に三者凡退。タイガース先発の山岡は二死から森山に中前打を打たれたものの、四番・出口を抑えまずは両チーム無難に二回を迎えた。
 二回表「四番・レフト桜井!」のアナウンスに神経が研ぎ澄まされた。
 土井の1球目はボール。2球目、桜井は思いきり振っていったがファウル。3球目は空振り。あきらかに見下ろされていた。2エンド2から5球目のシュート回転の球をファウル。6球目がボールでカウントが2エンド3になった。しかも土井はまっすぐ中心で投げてきている。(もし、当れば…)の期待もむなしく、土井のまっすぐに桜井のバットは見事に空を切った。これが、桜井・四番の苦難のロードになろうとは、桜井もこの時は考えていなかった。
(以下次号)

あちきが阪神タイガースファンであったころその3


阪神タイガース時代のOKママは、いま、多分
オリックス・バファローズファンです。

OKママとMさんの新人チェックとF投手その後


「ワタシハ梶ぃがすきやでェ!」と意外なことを言われた梶ぃだが、3月6日のサーパス神戸戦は前日の神戸サブでの3タコのせいか、出番なし。3月7日のプロアマ交流戦でやっと二番・サードで今季初の鳴尾浜登場を果たした。
 

前日は、なおちゃが「あまり光るもの感じない」と言っていたルーキーK・Kはドカンドカンと気持ちよく打たれたので、OKママも「カジハラか、カジワラか知らんけど……」とどんな試合だろうが負けることが嫌いなので、Mさん同様「寒い!さむ〜い!」のため息ばかり。しかし、YさんやKさん?さんなど続々と寒いのに鳴尾浜に襲来(オーバーな)、ごあいさつがあり室戸キャンプ視察でのニュー室戸のホテル話で盛り上がっていたようだ。

翌日、待望の梶原康司が一回裏一死から打席に立った。「ワタシこの子応援してるねん。顔覚えていてくれて、あいさつしてくれます」と言うと横ににいたTさんは「お母さんとMさんの顔は一回見たら、みな忘れませんよ」と突っ込みを入れる。梶ぃの今季鳴尾浜初打席は2−2から平凡なレフトフライ。OKママ「この子、打たんようなったら長いねん」と早くも嘆き節?(まだ、1打席だけや)と思うのだが、四番・桜井くんが二死一塁からセンター前ヒット。ここでMさんの声が後方から聞こえてきた。前日、2三振1四球だったのを見たとき、「まだ、上体けで打っている。下半身使わんと、変化球についてゆけない。あきまへんなぁ」と言っていたので、私は始まったばかりなので「よろしやんか!」と言っていた。しかし桜井くんの1本のヒットを見るとMさんの本領発揮だ。


「ワタシハ室戸(キャンプ)で初めてフリー打撃見て惚れたんや。〈桜井くんがんばりや!〉いうたら、〈はい!〉とまだ、子供やな。ちゃんとあいさつしよった。可愛いとこある。ワルサやったかしらんけど、ワタシも若いころはワルサでゴンタやった。道はずれるようなことしたらアカンけど、若いころはワルサぐらいの方がいい」と声が弾む。


Tさんが「そうでっか。だれも聞いてません」と返すが桜井くんはMさんにいきなりバッケンレコードなみの好印象を獲得していた。陰でTさん「N浜さん!師匠は単純なだけとちゃいますか」(TさんはMさんのことを師匠と呼ぶ)と言うので「私もわかりやすい方です」と答えて、東くんのエピソードも思い出した。


室戸キャンプの始まった二日目の午後から東捕手は東京から室戸に駆けつけたという。続々と選手が練習を終わりホテルのバスやタクシーで帰って行くのに、東捕手は最後になった。Mさんは、色紙とカメラを手に根気強く待っている。鳴尾浜の自主トレ時はファン規制が厳しかったので、このキャンプでのサイン色紙収集と写真撮影にかけていた。七十ウン歳でのこのタフネスぶり、最後に東捕手が出てくると、「今日は東京から直接きたん」と尋ねると東捕手はていねいに「ハイ!教職員免許の試験受けていたんです。結果はわかりませんけど」と別に説明の義務ないのにと思う律儀さで答えたもんやからMさは「教員免許の試験受けて直接、東京から来よったんや」と私に説明してくれたんはいいが、(横に私もいるんやけど)「N浜さんカメラ」の声で、ちゃっかり東捕手とのツーショット(私、シャッター押しました)と東選手のサイン色紙と単独写真もゲットして大満足!


Mさんの新人チェックで東捕手のポイントは10点、10点、9点ぐらいの感じで跳ね上がったことはいうまでもない。
ところで、大阪ガス戦、五回からF投手登板「N浜さん、Fでてきましたで」とニヤニヤ!2回投げてパーフェクトで3三振。「これでようなったら文句ないねん!」と投げる前からいうから「メモしますわ」と応じていた。OKママが「ええ投球やったんやから、ほめたらよしいねん」というが、「ハイ!」と言わないのがMさんの真骨頂。そこでTさんに「師匠!素直になりなはれ!」と突っ込まれるが、「そうやけど……」とまだ言う。しかし、「今日のとこはよかったんやから、まぁ、よしとしといたる」とまたニヤニヤ!


試合は前半の進行は遅かったが、後半多数の投手が出た割には、早い展開でタイガースが5対0と快勝!終わる間際に新調したばかりのMさんの携帯電話が鳴った。
 kazunatumiさんかららしい。絶妙のタイミングの電話に私は梶ネットのフットワークの軽さとkazunatumiさんの情熱に圧倒されたのであります。

鳴尾浜タイガース

あちきがこんなに阪神タイガースファンであったころ(その2)

あちきがどれぐらい阪神タイガースファンだったかということを語るとき、ハンドルネーム「kazunatumiさん」との出会いを語らざるを得ない、彼はいま、Yahooの野球掲示板は荒れてしまって、当時の面影はないが、彼はこの阪神タイガース掲示板で二軍情報までカバーするスレを建てていた。誰よりも新聞速報よりも早く情報を掲載するのが趣旨であらゆる努力をしていた。暗黒タイガースにあって、ファンの鏡のようなファンだ。あちきは、彼の情熱に負けて、彼に協力するようにいつの間にかなっていた。ファン拡大に役立てばいい、と思ったからだった。その後、あちきはファンのメール攻勢に押されて、その対応のために無料のメールマガジンまで発行したのだが、それもいまは、昔の話だ。

kazunatumiさんと池田純一とファーム情報のYAHOO!と眠れぬ夜

3月8日の梶ネットの書き込みで、kazunatumiさんと管理人さんが鳴尾浜に来れば、不振の梶ぃも調子でるのではないか、と書いたら、kazunatumiさんが、気合を入れてはるばる千葉から駆けつけることが書かれていた。すると、その夜に私はと突然kazunatumiさんが、池田純一(当時は池田祥浩)さんのドキュメントに出ていたkazunatumiさんのことを思い出した。もう時間は夜中の2時を過ぎていた。

ところが、あのドキュメントで、池田純一さんが、その後の人生でずっと苦しんでいたことが、突然蘇り、球団の公式な50年史ではどのように書いてあるのか気になりだし、目が冴えついに、本棚から、10センチはある3冊セットで漬物石のように重たい年史をひっぱりだした。その年史には池田純一さんが世紀の落球したことなどひことも書いてなくて、最終2試合を残して、中日に相性のいい上田二郎さん(8勝していた)が(現管理部部長)がなぜ、10月20日の中日戦に投げなかったのか、の方が私には謎だった。脈絡なく書き、知らない人は何のことかと思われますが、タイガースは昭和48年、優勝争いで、巨人を倒すチャンスがあり、残り2試合で中日、巨人との2試合を迎え、引き分けで優勝だったのです。


その10月20日の試合(ナゴヤ)で、星野監督が先発していたのです。
次から次、思い出を引っ張り出し、年史を繰り出したら、この著述が当たり前とはいえ、調子の悪い上田二郎さんより、江夏豊さんで一気に優勝を決めるためだったようだ。
でもファンとしての頭の中にはなぜ?がずっとついてまわったいた。しかし、このコーナーは池田純一さんのフォーラムではないので、私は眠れなくなったことを言いたいのだ。


明日は練習から見たいので、6時には起きて、7時半には家を出たい、しかし目が冴えて眠れない。何でいまごろkazunatumiさんを思い出したのだ。アカン、「眠れ!」眠れない。しかたないから、今度はまた、書棚に向かい、小さな本、山際淳司さんが確か書いていた、「男たちのゲームセット」の文庫本を探す羽目になった。しかし、なかなか発見できず、今度は『ウイニングボールを君に』という、分厚い単行本を手にしてしまった。当然ながら、池田純一さんと話はドンドン外れるが、目次だけ見ても興味深い項目が並んでいる。あっ駄目だ。誘惑に負けて枕もとにもってきてしまった。
 

しかし、読むほどの元気はない。眠りたい。だけど、牛島がどうとか、村田兆冶がどうとか、興味深いシーンが書いてある。アカン!眠れ!誘惑に負けるな!と格闘していると、新聞配達のバイクの音がした。もう4時を回っていた。しゃあない。今日はは梶ぃ打つやろ。と妙にそこで、心が落ち着いた。その新聞配達のバイクの音が聞こえてこなかったら、私は眠れぬ夜をどう過ごすべきかで、悩み、鳴尾浜に行く頃には、居眠り運転で万事休すになっていたかも知れないのだ。

で、3月9日、kazunatumiさんにスタンドで会うまでドキドキしていた。私の中であのドキュメントは偶然に見ただけで、正直深い関心があったわけではない。しかし、池田純一さんは昭和48年サヨナラホームラン打ったり、大活躍していたのに、8月5日の巨人18回戦での落球(記録は三塁打)だけが後からひとり歩きして、あそこまで池田純一さんを苦しめていたなど信じられなかった。落球といっても書棚から発見した山際淳司さんの『男たちのゲームセット』の記述によると、芝生に足を取られたと書いてある。テレビでは単にこけたように見えた。


アカン、鳴尾浜のことだ。私はkazunatumiさんのお顔は何度も見ていたが、話する機会はなかった。で、名詞をもらったら、夜また、眠れぬ一夜になった。その名詞には、〈b*s*44_○△□×∞∀∈√£※ _b*s*44@******.ne.jp〉と落語の寿限無(字間違ってるかも)のような呪文のようなことが書いてあることが判明した。とにかく、家にかえってから、ゆっくり見ようと見たのはいいが、見れば見るほど分からない。タイガースファンで鳴尾浜ファンは知っている。しかし、この〈b*s*44_○△□×∞∀∈√£※_b*s*44@******.ne.jp〉は何?(WHAT)


そういえば、今日の試合で四番・関本が出て来たら「4番背番号44や!4のゾロ目、フィーバーやうれしい」と喜んだはった。何か関係あったのかな。その前に梶ぃが「まずは1本}のヒットを打っていた。一、三塁から松田ポテンで2点先行。その前に「KIDAがでてAをOに変えたらKIDOや」ともギャグ飛ばしたはった。野球に集中せんとなんでスコアブックにこんなこと、メモしたんねん。


アカン!〈b*s*44_○△□×∞∀∈√£※_b*s*44@******.ne.jp〉謎は深まるばかり、また翌朝、寝不足で鳴尾浜に迎い、スタンドでkazunatumiさんの姿を見つけると、真っ先に「これ、なんですか?」と正直に聞きに行ったのです。
罪な人だっせ、kazunatumiさん、あれが携帯のメールアドレスやったなんて。お陰で梶ぃがスタメンはずされたやおまへんか。(ここは月亭可朝風に)
 アカン、kazunatumiさんのおやじギャグまでうつされそうや。(この項続く)


鳴尾浜タイガース

kazunatumiさんと池田純一とファーム情報のYAHOO!と眠れぬ夜その2

翌日、kazunatumiさんの姿を鳴尾浜のスタンドで見つけた私は正直に私はこのカードの意味がまったくわかっていないことを告げた。
「携帯のメールアドレス?」
「こんな長いのが携帯のアドレス?」


事態を呑みこめない私はスグに理解ができなかった。私は昨夜このカードの寿限無のようなお経のようなコーランのような長いアルファベットと数字の羅列に加えて、要所でハイフォンのような横棒まである。このハイフォンもどきの横棒に実は悪戦苦闘していたのだ。


最初、私はこの羅列した文字が特殊なインターネットのドメイン名かと勘違いしており、何度も入力を試みようとしたが、WEB上でまず困ったのは、ハイフォンの位置がカードではどう見ても、アンダーラインの低さなのだ。私はこのアンダーラインの低さに横棒を引くキーがどうしてもわからず、タイプできなかった。それで、WEBが開けないものと思っていた。しかし、kazunatumiさんはホームページは持っていない、と言われていた。よく見ると、このYAHOO!の文字のしたに〈KANSAItopic〉の文字がある。どういうことやねん。携帯電話の番号。E−mailアドレスも書いてある。この真中の長いのは何やねん。


私はいたずらに時間を過ごし途方にくれていた。
それが、ヤフーの掲示板で主宰している、会議室とは何にも関係ないことが判明したのは、この長いアルファベットと数字の羅列が携帯のメールアドレスだったことを理解できてからだった。
私は今度はその「ヤフーのKANSAItopicって何ですか?」と聞くと携帯を操作したkazunatumiさんは「これです」とまた気の遠くなるような記号の羅列を見せられたので、「そんな長いのよう覚えんし、よう携帯で打ちこみできませんわ」と断った。で、パソコンでやる方法をメモして、その場は収まり、やっと試合前に疑問の解決を見た。


さて、梶ぃの出ないゲームは気の抜けたビール、サイダー、コカコーラのようでもうひとつ気合入らなかった。太陽の好投などで快勝。
4時過ぎ、一軍の試合をクルマのナビで見ることにした。中継録画で時間差中継だったが、kazunatumiさんは逐次情報をゲットしていた。


鳴尾浜のバス亭で管理人さんといたので、クルマで甲子園駅まで送ることになり、同乗してもらって、少し走ったら、九回3点差から反撃したらしい、と kazunatumiさんが教えてくれた。そして、間もなくkazunatumiさんの携帯電話の着信メロディーが鳴った。「嫁ハンからや!」と kazunatumiさんは受信する。「スタメンの四番・白てなんや」と話している。(おかしい。ギャグにはトンチか)「白でホワイトか。なんやと思ったで!」
(この夫にしてこの妻あり)「それで、いまどないなってんねん」
「ナニ秀太ヒットに藤本内野安打に……山田ライト前、赤星センターフライ」

クルマが甲子園駅に着いたとき、「ナニー坪井が犠牲フライ、ホワイトがタイムリーで同点?」
「N浜さんどうしましょう」
「こんな中継聴かんかったら、悶々として、運転どころちゃいまっせ!」私はハザードをつけた。
「ナニ!濱中デッドボール!」
しばらくして「えっ!矢野四球で二死満塁で上坂!」
「たまらん展開でんな!」また、しばらくして「ナニー!三振!」で文字通りのモバイル中継が終わった。NTTに表彰状もらわんとアカン携帯の使用法やな、と感心した。


「私も頭の中で黒いのにホワイトとはこれいかに、白人(しろうと)なのにクロードチアリというが如し」(こんなん鳴尾浜でいうたら、即Tさんらの突っ込み入る「ここは笑点か」)とオヤジギャグが浮かんできたが、その前にkazunatumiさんが、「こんなん考えてましてん。ヤクルトにロジャー言う選手いましてん。うちのムーアとでロジャー・ムーアで007(ダブルオーセブン)でF1セブンに対抗や」とか何とか言っていたので、さすがに後部座席の管理人さんも「面白くねぇ!」


しかし、kazunatumiさんは「新井と桜井で〈ライライコンビ〉いうのどうでっしゃろ!」という。私は「それはどういう字ですか、と尋ね道路地図の余白に、カタカナでライライコンビ」とメモした。管理人さんも、〈ライライコンビ〉は気にいった様子で別れた。

さて、クルマでの帰り道、毎日放送ラジオをつけると月亭八方が「満塁で引き分けにするところが阪神らしい」と駄目押ししていた。 そしてその夜、ヤフーの掲示板でファーム情報の書き込み欄を覗き、タイガースのファーム情報のところに広島・鈴衛がどうなった、という書きこみを見つけめまいがし、さらに池田純一さんのコーナーも覗くと、ドキュメントの制作手法にまで、及ぶ書きこみがあり、頭がくらっつとして、またも眠れぬ夜を過ごし、深夜になろうと言う時刻に私事のメールをkazunatumiさんに発信したのであります。


鳴尾浜タイガース

あちきが、こんなに阪神タイガースファンだったころ(その1)

DAISUKEより大好き

かつて阪神タイガースファンのあちきは、なおちゃという熱心な二軍ファンに影響されて、ファームのコラムをなおちゃ主宰のHPコラムに書いておりました。その残骸が変な拍子に見つかったので掲載しておきます。自分史の中の10年前の一コマです。

オマリー熱血指導と野球は楽しくやるもんだ

2月15日に室戸キャンプに星野監督が訪れたことを告げる報道は、ソルトレイクでの冬季五輪がかすむほど、タイガースファンを喜ばすできごとのような雰囲気なのですね。しかし、忘れてならないのは、同時にオマリー臨時コーチも若トラを熱血指導したことです。

もちろん若トラの星野監督へのアピールは室戸の二軍選手の励みになったことは、いうまでもない。
まず新井は、星野監督から目立った選手の一人に挙げられ、「ちょーやりがいありますね」とこれまで変化球への対応が課題だったが、「下半身が安定してきたんで、変化球も少しずつ、打てるようになってきています」とやる気倍増。朝のスポーツ紙に出た記事読んで張り切っておりました。


さてその模様をスタンドから見る。新人・桜井の入団で猛烈に闘争心に火がついた感じで、オマリー臨時コーチも三宅編成課長兼通訳から「スラッガー、新庄タイプ」と紹介され、ティー打撃が始まった。
オマリーの臨時コーチぶりを見た方はご存知だと思うが、オマリー先生は後ろからティーのボールをトスする。
そして、
「ヘイ!21歳ガンバッテ!」
「クールボーイ!」
「ドライビング! ドライビング!」
「ボール、ウエカラ、タタク」


ネットにうまくティーの打撃が収まらないと「ダメ!」と日本語がでる。が、いいときはなぜか英語になる。
「ブリュ・グー」あるいは「オーケー・グゥー」、(ドの発音はほとんど聞こえない)。
今度は調子に乗せるために、「アウトコース!」なぜか「マンナカ」ハ日本語デ「インコース」とトスのボールを投げわける。ネットはずれると「ガマンシテ!」とジェスチャーを交える。それを見ているだけで、ファンは楽しくなる。野球は楽しく練習するもんだ、の雰囲気がさらに盛り上る。ネット越しに見えた38番の選手のことらしい(シートで投げた弓長投手)
「サンジュウ ハチバンニ アテロ!」(センター返し)
「マエデ シッカリ」
「ヨッシャ!」
までとびだすと新井も思わず「よっしゃ!」と応じて、周囲は笑いで包まれた。このセリフ、ドラゴンズ佐々木コーチに届いてくしゃみしてるかな。新井いつから大阪弁覚えてん。「ハイ ボール!」(高イボール)などエトセトラ。見てイテたっぷり楽しませてくれました。
 ティーのしめくくりは連続5球のティー、新井はオマリー先生のティーのスピードについていけない感じだったが、「スバヤク!」のオマリー先生の言葉モムナシク2球空ぶり。オマリー先生ノコトバ一日経っても耳に心地よく、野球は楽しいものだと再認識させられたのであります。

ところで、梶とオマリー先生のときは、普通の選手に教えるのと同じで、我慢して、前前でさばく、下半身の使い方とスイング指導に終始でした。
でも梶はオマリー先生に「サインもらいたかった」と言って感激の様子。なぜ、もらわなかったなぁ、シャイなのかな。

 


2月4日にタイガースオフだったので西武の春野行って松坂の練習見たときも野球は楽しくの雰囲気に満ちていた。
サブグラウンドで森山コーチが打つハーフライナーを受け、ファーストへ遠投するという、タイガースでは見たことない練習方で肩作りする松坂、デニー、許ら。ファンサービスにイチロー得意のバックグラブキャッチでデニーが拍手喝采を浴びると、松坂も挑戦、惜しいところで何度もこぼすと、少年野球団の一斉突っ込み「イチローなら一発や!」
松坂、グラブ投げる仕種で悔しがり、矢のよな強いスピードボールでファーストキーパーのグラブをかすめて、後ろのネットへ直撃!
そこでまた、笑いが起こる。それでも球の回転や伸び具合をきっちりテストしているんですね。反対側のネットで見ているファンはスリルも味わる。森山コーチが「松坂この辺でいいか」の声。デニーが「オレを置いて行くのか」と強化メニューに行こうとした松坂、思い止まり、少しデニーに付き合い、デニーがOKを出すと、松坂「ボクはデニーさんにあわしたんです」と言うや脱兎のごとく走り、逃げる。追うデニー、マイペースで冗談いいながらも、楽しそう。練習を楽しそうにやっているのが、西武の安定感の一因かなと妙に納得したもんだ。メニューの時間短いけどやっているキャッチボール、ペッパーひとつ見ても気合の入り方確かに違った。
タイガースの二軍のそんなキャラ候補に梶ぃは十分になると思うやけど、なおちゃ他梶ぃファンのみなさま、どうどうすか。

鳴尾浜タイガース

at: 2002/02/18(Mon)

労組日本プロ野球選手会新井貴浩会長=阪神)は、大阪市内で臨時大会を開き、来年3月に開催予定の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に参加しない方針を全会一致で決議しました。

電通とNPB主導でMLBはただのエキジビジョン感覚</span>での参加で、実際の興行収入はMLBに一番入るシステムだ。新井貴浩が日本プロ野球の危機に直面しているときに、このようなアメリカポチイベントに参加したくないと、表明するのは当然だ。
@nikkansportscom わたしはこの労組の新井貴浩会長を人間として尊敬しています。2008年北京五輪星野は自分の采配が思い通りにならず、あれだけの大言壮語をしていたにもかかわらず、惨敗した。その代償に新井や川上など各チームの主力選手を怪我に追いこみ、ペナントレース @torayosa @nikkansportscom そのものを潰した、その一方で創価岩隈は有力選手が多く抜けた間隙に勝ち星を積み重ね20勝投手に、落合監督が星野のやり方に無言の抗議として、納得いかないWBCへのリーグ開幕直前での参加に消極的意見を述べたら、パッシングが起きた。


@torayosa @nikkansportscom 電通とNPB主導でMLBはただのエキジビジョン感覚での参加で、実際の興行収入はMLBに一番入るシステムだ。新井貴浩が日本プロ野球の危機に直面しているときに、このようなアメリカポチイベントに参加したくないと、表明する。
@torayosa @nikkansportscom しかし、私はラ・マンチャの男 ドンキホーテを亡くなった児玉清の前で宣言するように名刺を作った。(その後児玉清はあちきの策略に気づきだしたときには天国へ逝った)いま、新井貴浩の日本プロ野球の岐路に立つことを自覚して、電通の陰謀に反旗を翻したことに、その勇気に同士として共感を覚える。新井貴浩

@torayosa @nikkansportscom キミの「選ぶ力」、昨年の3・11以後の ナベツネゴリ押し日程に反旗を掲げて、セ・パ同時開催にもっていった球界の指導者としての力量、素晴らしいの一語に尽きる。ひとは、だれかに表彰されたり、勲章もらったりすれば社会的に嬉しい。

@torayosa @nikkansportscom だが、一番自分がうれしいのは、自分がどれだけ自分の流儀で、野田ブタ総理の言葉でゆうなら、藤沢周平描くところの下級武士の矜持もちつづけるかだ、とするなら、私は「武士の一分」をもち、老子のいう「身のおきどこころは低い方がよい。」
@torayosa @nikkansportscom というところに落ち着いた。体力は弱り昨夜の寝不足で、デモのあとは朝9時になっても起きられなかったが、情熱とアイディアは人生でいまからピークに向かうのではないかと、この一文を書いている。新井貴浩キミが次期球界、阪神タイガースの指導者だ。
@nikkansportscom それまでは現役選手として過酷の日々過ごしているが、私の姿を思い出してほしい。オレはキミの二軍新人時代、藤川球児デビューから本塁打を打った。さらに左にも本塁打を打った姿を思い出す。キミの技術的なことについて私は語る知識は何も持たない。


@torayosa @nikkansportscom しかし、キミのPassionがヒッキーの私にとっては名曲を超えても私はそれに嫉妬することはないだろう。キミの勇気はこの日本国人とキミの背負っている歴史に重くのしかかる在日韓国人朝鮮人にも勇気を与えるからだ。WBC蹴っとばせ!

@torayosa @nikkansportscom 朝から腰の調子も悪く、二年ぶりにスーパー銭湯もゆき、来週は外科通いしなければならないほど疲れているが、新井貴浩共に生きましょう。チェ・ゲバラに学ぼう。

「救うわために変える。変えるために戦う。」
人間の価値観が新たな変化を求める現代に
「今こそ、あたなたが必要なのだ」

@torayosa @nikkansportscom 新井貴浩、あちきも「別れの手紙」書いたチェ・ゲバラに学んで、人生の最終章歩んでいます。これはツイートしましたが、実際には関係者ブログで発表すべき内容です。ここに、ヘッセの詩を掲げて、新井貴浩選手会長にも、私の持つ人間的葛藤何なのかをわかっていただければ、うれしゅうございます

私は星だ(題名)/


私はおおぞらの星だ。/
世界を見つめ、/
世界をあなどり、/
自分の熱火に焼失(う)せる/



私は夜ごとに荒れる海だ。/
古い罪は新しい罪を積みかさねて、/
きびしいいけにえをささげる嘆きの海だ。/


私はあたな方の世界から追われ、/
誇りに育てられ、誇りにあざむかれた/
私は、国のない王さまだ。


私は無言の情熱だ。/
家ではかもどがなく、戦争では剣を持たない。/
自分の力のために病んでいる。

@torayosa @nikkansportscom (『ヘッセ詩集』高橋健二訳・新潮文庫http://www.amazon.co.jp/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E8%A9%A9%E9%9B%86-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%/db/4102001190/dp/4102001190 …処女詩集とその前後より。こころをこめて捧げます。後半戦の我が阪神Tigersの健闘をねがいつつ

ツイートの誤字脱字修正したつもりですが、誤字脱字修正気がつけば、なおします。

「野茂英雄」健在が嬉しくて

野茂英雄さんが「Number」804で巻頭インタビューされていた。それを読んで、野茂さんはやっぱり野茂英雄なんだ、と元タイガースファンとして野球ファンとして凄く、嬉しい気分になり、過去ログを古いパソコンから探し出し幸いに見つかったので、久しぶりにサッカーファンのオレはブログで野球を書いてみたくなった。それにしてもタイガースよ! 昨日の負け方はいかんぜよ! 別ブログでその秘密も公開準備しているので5割確保して頑張ってよ!


拝啓 野茂英雄 様(その1)

サンフランシスコで(米カリフォルニア州9日《日本時間10日》、貴方は古巣ドジャースに復帰されてから、野茂フリークの私が待ち望んだ勝ち星を95年のメジャーデビューのジャイアンツ相手に挙げられました。あの、初登板で打たれたバリー・ボンズ新庄剛志を抑えてのメジャー通算83勝目、本当におめでとうございます。
私が貴方を尊敬するのは、常にパイオニアワークで球界の先鞭をつけてこられたからです。
思えば、貴方が大阪近鉄に入団されたころは、ブルペンでの投げ込みが全盛で遠投ばかりする貴方を見て、ソウル五輪で見せた150キロを越える速球を本当に投げる投手なのか、と疑ってかかっていました。たしかに、テレビでアトランタでの投球を見てはいましたが、あの後にトルネードと呼ばれるようになったフォームを見て、付和雷同のタイガースファンの私の妻でも奇異なフォームに感じて、「何、あの投げ方」と強烈な印象を語っていたものです。
入団当時(90年)、4月1日大阪近鉄との定期戦のオープン戦最終戦が県立橿原球場で行われました。私は今でこそ橿原球場に近い吉野の田舎暮らしですが、そこころはまだ大阪の摂津に住み、橿原球場までのクルマの渋滞がとても遠くまで来たと感じたものでした。
忘れもしません。レフトスタンドの桜が満開になり芝生席はタイガースファンで埋まっていましたね。貴方はそこでも、登板前の遠投を入念にやり、相手しているキャッチャーをてこづらせていました。何しろ貴方の遠投は言葉の本当の意味での遠投で100メートルほど離れてのキャッチボールであり、そのボールが受けての手元で伸びてくるようだったのですからね。
ですが、試合では噂の150キロ速球は全然ありませんでした。まっすぐとフォーク。たまに思いだしたように投げるあまり曲がらない(失礼)カーブで貴方はタイガース打線を抑えていました。打てそうで打てない球を唯一完璧に打ったのがあの真弓明信(現大阪近鉄ヘッド兼打撃コーチ)でした。レフトスタンドへタイガースの洗礼(既にオープン戦被本塁打5本)ともいえる一発を浴びましたが、貴方は平然と、顔色ひとつ代えられませんでした。5四球されましたが、6回投げ1安打4三振、2失点で簡単に勝ち投手になられました。貴方の評価は評論家間でも大きく分かれていました。「あのフォームではだめ、まっすぐとフォークだけではだめだ。プロでは通用しない」
しかし、私は貴方の投げ方にパイオニアの凄みを感じワクワクしていました。なぜか、理由は簡単でした。全然、スピードボールが投げていないのに、それでも抑えたという事実でした。
以後、野茂英雄のポーカーフェースは有名になりました。私はタイガースファンではありますが、もともと近鉄沿線に住み育ち、藤井寺球場大阪球場は少年時代はやった三角ベース野球育ち世代のフィールドでした。ですから、近鉄、南海選手の方が子供には接する機会が多かったものです。
私は貴方の試合をタイガースファンではありますが、こっそりとよく見ました。

藤井寺大阪球場のナイターに通いました。尾崎投手(浪商高)の記録を破る最短の100奪三振がかかった試合(6月13日・大阪球場)は貴方の調子が悪く悲惨な感じ(9回5失点)を思いだします。三振は取るけど得点も与える。しかし、貴方はダイエーホークスと変わったチームのメジャーリーガー、ウイリー・アップショー相手に見事に100三振(七回)を記録したかと存じます。そして10三振を奪い完投勝ちされました。
その後、貴方は4年連続最多勝、日本人投手としてのパイオニアとしての投球を続けられました。5年目に肩を痛めての登板過多と鈴木監督との軋轢によって、貴方は5年連続二桁勝利や連続最多奪三振最多勝など、すべての記録をフイにして、オフはリハビリに専念しておられました。
そして、オフの任意引退ダン野村氏を代理人に立ててのメジャー移籍。当時の貴方とダン野村氏に対するパッシングは異常でした。しかし、堀江謙一氏が「太平洋ひとりぼっち」でヨットで太平洋横断したときも、行くときは合法的に行く手段がなかったのです。
貴方はマスコミのパッシングをものともせずに、マイナー契約ドジャースに入団されました。「メジャーで野球をやりたい」の一心で大きな人生の夢に賭け堀江謙一氏が「太平洋ひとりぼっち」の航海に出たように、メジャーの厳しいロースターに船出されました。
(以下次号)

野茂英雄 - Wikipedia

拝啓 野茂英雄 様(その2)

貴方は数々の難関をクリアして、95年5月12日ジャイアンツ戦でデビューされました。今季貴方に続く石井投手がドジャースの日本人投手に加わり、初登板初勝利という快挙で続かれました。もっとも、貴方が拓いた道のお陰で日本人投手のメジャーリーガーはめずらいしものでなくなり、昨年はイチロー選手や新庄選手が野手として初めてメジャーリーガーとなり、今季は田口選手も挑戦しておられます。
ところで現地ロサンゼルスではドジャースではなくダジャースと発音するそうですね。
当時、私は衛星放送で貴方の登板予定の試合をすべてビデオに撮りました。それだけではおさまらず、野茂ツアーへの参加を企て、チャンスを待ちました。貴方の所属するドジャースナショナル・リーグ西地区で快進撃を続け、地区優勝を争そっていましたね。
思えば5月2日ジャイアンツ戦にメジャー初登板、6月2日のメッツ戦で8回3分の0投げて待望の初勝利、以後6連勝。その中には2連続完封も含まれていましたね。その頃から、地元のマスコミのローレンス・ロッカ記者(オレンジ・カウンティレジスター紙)などの報道が日本でも話題になり、日本のマスコミも大騒ぎ、あの、貴方へのパッシングは何だったのか、と思うほかありませんでした。
地元でも5月には想像できなかったことが、現地で起きていました。「野茂をオールスターに出そう!」――当時の記録を調べていると、ロッカ記者がジャイアンツのあのボンズに必要にくいさがって取材する光景が書いてありました。
《「ノモを見て、貴方が思い出す投手はいますか」》
《それはノモだよ。ノモはノモでいいんじゃないか」と》ボンズを野茂恐怖症にまで追い込んだというではありませんでしたか。
 7 月11日、貴方はメジャーのオールスターに選ばれたばかりか、ナショナルリーグのの先発投手を務められました。ロッカ記者の『NOMO in AMERICA』によりますと、当時の《ブレーブスの主砲マクグリフが目を丸くする。「こんな光景、オレの人生で見たことないよ。この世のモノとは思えんぞ」》と言ったというフィーバーぶりが伝えられていました。ダッグアウトまでたどりつくのが大変だったというのですから、その光景は想像しても痛快だったものです。そして、私はテレビで見た記憶だけをたどると、当時ホワイト・ソックスの主砲ベルに対して真っ向勝負で三振に取ったことが鮮明に残っております。
さて、私は貴方がロッキーズと壮烈なデッドヒートで首位争いする姿を見るために、ついに格安野茂ツアーでロサンゼルスまで行きました。当時14万円、夏休みシーズンなら20万円以上かかったツアーが14万円、しかも我が阪神タイガースは中村監督の途中休養、藤田ファーム監督の監督代行で球団創設60周年を最下位で終わろうというシーズン、人生でこの一週間を逃したらきっと後悔すると思い、決断しました。しかし安いツアーゆえホテルはアナハイム(確か翌年長谷川がエンゼルス入団)でした。クルマでロサンゼルスまでフリーウエーを飛ばしてたっぷり40分はかかる。昼間はデズニィー見物。夜はナイターでドジャースに通うため、私は初めてレンタカーを借り初めての左ハンドルと車線の違いに苦しみながら3日間のドジャースタウン通いを始めました。ハワイのように日本語は通じず、フリーウエーで道に迷ったときは、悲惨でした。しかし、私はドジャースの試合を見たい一新で映画で見るような古ぼたガソリンスタンドで黒人の大男に道を尋ねたりしました。「※※△×ストリート、レフトターン。ユーシー」とか、いわれても速すぎる。「スローリー」とか言いながら、とにかくまたフリーウエーを走る。3度間違えてドジャースタウンに着き、広い駐車場に着いたときは、すでに試合が始まっていました。私は関係者駐車場に止め、そこの係りの青年に5ドルもチップをはずみ大目にみてもらい、ダフ屋から切符を買って球場入りドジャースタウン初体験を終えたのです。
3日目、貴方は9月24日のデー・ゲームで先発されました。調子悪いようでしたが5回を2失点に抑えツアー客を喜ばせてくれました。とにもかくにも、貴方が試合前の打撃練習で楽しそうに野球小僧していた姿が忘れられません。若いメキシカンのバルデスやエースのラモン・マルチネス、そして、マイナーから40人枠でメジャー昇格した若き日の朴チャンホー投手(今季FA移籍)などと話し本当に野球を楽しんでおられました。その後のメジャーでの波乱万丈を経てのドジャース復帰、本当におめでとうございます。昨日は貴方の好投が報われず敗戦投手になられたようですが、地区優勝はもちろん、リーグ優勝、初のワールドシリーズ出場を楽しみにしております。

                      敬 具

追伸 余談ですが、このツアーではローテーションの関係で貴方の登板は翌日が濃厚だったそうですね。多くのツアー客がそのために一泊追加をしていましたが、私はどうしてもそうできない事情があり、貴方が登板する方に賭けました。そして私は賭けに勝ち、一日暇を持て余したほかの客を悔しがらせ、貴方は勝ち投手になられました。30日のパドレス戦で毎回奪三振11の好投で2失点に抑え、胴上げ投手(13勝目)になられ地区優勝に貢献されたのでした。