「野茂英雄」健在が嬉しくて

野茂英雄さんが「Number」804で巻頭インタビューされていた。それを読んで、野茂さんはやっぱり野茂英雄なんだ、と元タイガースファンとして野球ファンとして凄く、嬉しい気分になり、過去ログを古いパソコンから探し出し幸いに見つかったので、久しぶりにサッカーファンのオレはブログで野球を書いてみたくなった。それにしてもタイガースよ! 昨日の負け方はいかんぜよ! 別ブログでその秘密も公開準備しているので5割確保して頑張ってよ!


拝啓 野茂英雄 様(その1)

サンフランシスコで(米カリフォルニア州9日《日本時間10日》、貴方は古巣ドジャースに復帰されてから、野茂フリークの私が待ち望んだ勝ち星を95年のメジャーデビューのジャイアンツ相手に挙げられました。あの、初登板で打たれたバリー・ボンズ新庄剛志を抑えてのメジャー通算83勝目、本当におめでとうございます。
私が貴方を尊敬するのは、常にパイオニアワークで球界の先鞭をつけてこられたからです。
思えば、貴方が大阪近鉄に入団されたころは、ブルペンでの投げ込みが全盛で遠投ばかりする貴方を見て、ソウル五輪で見せた150キロを越える速球を本当に投げる投手なのか、と疑ってかかっていました。たしかに、テレビでアトランタでの投球を見てはいましたが、あの後にトルネードと呼ばれるようになったフォームを見て、付和雷同のタイガースファンの私の妻でも奇異なフォームに感じて、「何、あの投げ方」と強烈な印象を語っていたものです。
入団当時(90年)、4月1日大阪近鉄との定期戦のオープン戦最終戦が県立橿原球場で行われました。私は今でこそ橿原球場に近い吉野の田舎暮らしですが、そこころはまだ大阪の摂津に住み、橿原球場までのクルマの渋滞がとても遠くまで来たと感じたものでした。
忘れもしません。レフトスタンドの桜が満開になり芝生席はタイガースファンで埋まっていましたね。貴方はそこでも、登板前の遠投を入念にやり、相手しているキャッチャーをてこづらせていました。何しろ貴方の遠投は言葉の本当の意味での遠投で100メートルほど離れてのキャッチボールであり、そのボールが受けての手元で伸びてくるようだったのですからね。
ですが、試合では噂の150キロ速球は全然ありませんでした。まっすぐとフォーク。たまに思いだしたように投げるあまり曲がらない(失礼)カーブで貴方はタイガース打線を抑えていました。打てそうで打てない球を唯一完璧に打ったのがあの真弓明信(現大阪近鉄ヘッド兼打撃コーチ)でした。レフトスタンドへタイガースの洗礼(既にオープン戦被本塁打5本)ともいえる一発を浴びましたが、貴方は平然と、顔色ひとつ代えられませんでした。5四球されましたが、6回投げ1安打4三振、2失点で簡単に勝ち投手になられました。貴方の評価は評論家間でも大きく分かれていました。「あのフォームではだめ、まっすぐとフォークだけではだめだ。プロでは通用しない」
しかし、私は貴方の投げ方にパイオニアの凄みを感じワクワクしていました。なぜか、理由は簡単でした。全然、スピードボールが投げていないのに、それでも抑えたという事実でした。
以後、野茂英雄のポーカーフェースは有名になりました。私はタイガースファンではありますが、もともと近鉄沿線に住み育ち、藤井寺球場大阪球場は少年時代はやった三角ベース野球育ち世代のフィールドでした。ですから、近鉄、南海選手の方が子供には接する機会が多かったものです。
私は貴方の試合をタイガースファンではありますが、こっそりとよく見ました。

藤井寺大阪球場のナイターに通いました。尾崎投手(浪商高)の記録を破る最短の100奪三振がかかった試合(6月13日・大阪球場)は貴方の調子が悪く悲惨な感じ(9回5失点)を思いだします。三振は取るけど得点も与える。しかし、貴方はダイエーホークスと変わったチームのメジャーリーガー、ウイリー・アップショー相手に見事に100三振(七回)を記録したかと存じます。そして10三振を奪い完投勝ちされました。
その後、貴方は4年連続最多勝、日本人投手としてのパイオニアとしての投球を続けられました。5年目に肩を痛めての登板過多と鈴木監督との軋轢によって、貴方は5年連続二桁勝利や連続最多奪三振最多勝など、すべての記録をフイにして、オフはリハビリに専念しておられました。
そして、オフの任意引退ダン野村氏を代理人に立ててのメジャー移籍。当時の貴方とダン野村氏に対するパッシングは異常でした。しかし、堀江謙一氏が「太平洋ひとりぼっち」でヨットで太平洋横断したときも、行くときは合法的に行く手段がなかったのです。
貴方はマスコミのパッシングをものともせずに、マイナー契約ドジャースに入団されました。「メジャーで野球をやりたい」の一心で大きな人生の夢に賭け堀江謙一氏が「太平洋ひとりぼっち」の航海に出たように、メジャーの厳しいロースターに船出されました。
(以下次号)

野茂英雄 - Wikipedia

拝啓 野茂英雄 様(その2)

貴方は数々の難関をクリアして、95年5月12日ジャイアンツ戦でデビューされました。今季貴方に続く石井投手がドジャースの日本人投手に加わり、初登板初勝利という快挙で続かれました。もっとも、貴方が拓いた道のお陰で日本人投手のメジャーリーガーはめずらいしものでなくなり、昨年はイチロー選手や新庄選手が野手として初めてメジャーリーガーとなり、今季は田口選手も挑戦しておられます。
ところで現地ロサンゼルスではドジャースではなくダジャースと発音するそうですね。
当時、私は衛星放送で貴方の登板予定の試合をすべてビデオに撮りました。それだけではおさまらず、野茂ツアーへの参加を企て、チャンスを待ちました。貴方の所属するドジャースナショナル・リーグ西地区で快進撃を続け、地区優勝を争そっていましたね。
思えば5月2日ジャイアンツ戦にメジャー初登板、6月2日のメッツ戦で8回3分の0投げて待望の初勝利、以後6連勝。その中には2連続完封も含まれていましたね。その頃から、地元のマスコミのローレンス・ロッカ記者(オレンジ・カウンティレジスター紙)などの報道が日本でも話題になり、日本のマスコミも大騒ぎ、あの、貴方へのパッシングは何だったのか、と思うほかありませんでした。
地元でも5月には想像できなかったことが、現地で起きていました。「野茂をオールスターに出そう!」――当時の記録を調べていると、ロッカ記者がジャイアンツのあのボンズに必要にくいさがって取材する光景が書いてありました。
《「ノモを見て、貴方が思い出す投手はいますか」》
《それはノモだよ。ノモはノモでいいんじゃないか」と》ボンズを野茂恐怖症にまで追い込んだというではありませんでしたか。
 7 月11日、貴方はメジャーのオールスターに選ばれたばかりか、ナショナルリーグのの先発投手を務められました。ロッカ記者の『NOMO in AMERICA』によりますと、当時の《ブレーブスの主砲マクグリフが目を丸くする。「こんな光景、オレの人生で見たことないよ。この世のモノとは思えんぞ」》と言ったというフィーバーぶりが伝えられていました。ダッグアウトまでたどりつくのが大変だったというのですから、その光景は想像しても痛快だったものです。そして、私はテレビで見た記憶だけをたどると、当時ホワイト・ソックスの主砲ベルに対して真っ向勝負で三振に取ったことが鮮明に残っております。
さて、私は貴方がロッキーズと壮烈なデッドヒートで首位争いする姿を見るために、ついに格安野茂ツアーでロサンゼルスまで行きました。当時14万円、夏休みシーズンなら20万円以上かかったツアーが14万円、しかも我が阪神タイガースは中村監督の途中休養、藤田ファーム監督の監督代行で球団創設60周年を最下位で終わろうというシーズン、人生でこの一週間を逃したらきっと後悔すると思い、決断しました。しかし安いツアーゆえホテルはアナハイム(確か翌年長谷川がエンゼルス入団)でした。クルマでロサンゼルスまでフリーウエーを飛ばしてたっぷり40分はかかる。昼間はデズニィー見物。夜はナイターでドジャースに通うため、私は初めてレンタカーを借り初めての左ハンドルと車線の違いに苦しみながら3日間のドジャースタウン通いを始めました。ハワイのように日本語は通じず、フリーウエーで道に迷ったときは、悲惨でした。しかし、私はドジャースの試合を見たい一新で映画で見るような古ぼたガソリンスタンドで黒人の大男に道を尋ねたりしました。「※※△×ストリート、レフトターン。ユーシー」とか、いわれても速すぎる。「スローリー」とか言いながら、とにかくまたフリーウエーを走る。3度間違えてドジャースタウンに着き、広い駐車場に着いたときは、すでに試合が始まっていました。私は関係者駐車場に止め、そこの係りの青年に5ドルもチップをはずみ大目にみてもらい、ダフ屋から切符を買って球場入りドジャースタウン初体験を終えたのです。
3日目、貴方は9月24日のデー・ゲームで先発されました。調子悪いようでしたが5回を2失点に抑えツアー客を喜ばせてくれました。とにもかくにも、貴方が試合前の打撃練習で楽しそうに野球小僧していた姿が忘れられません。若いメキシカンのバルデスやエースのラモン・マルチネス、そして、マイナーから40人枠でメジャー昇格した若き日の朴チャンホー投手(今季FA移籍)などと話し本当に野球を楽しんでおられました。その後のメジャーでの波乱万丈を経てのドジャース復帰、本当におめでとうございます。昨日は貴方の好投が報われず敗戦投手になられたようですが、地区優勝はもちろん、リーグ優勝、初のワールドシリーズ出場を楽しみにしております。

                      敬 具

追伸 余談ですが、このツアーではローテーションの関係で貴方の登板は翌日が濃厚だったそうですね。多くのツアー客がそのために一泊追加をしていましたが、私はどうしてもそうできない事情があり、貴方が登板する方に賭けました。そして私は賭けに勝ち、一日暇を持て余したほかの客を悔しがらせ、貴方は勝ち投手になられました。30日のパドレス戦で毎回奪三振11の好投で2失点に抑え、胴上げ投手(13勝目)になられ地区優勝に貢献されたのでした。