小林 繁への哀悼と個人的体験

阪神タイガースの球団発行誌に小林繁江川卓のエピソードが載ったのは、球団発行誌の20周年企画の一環だったという。伝説の高知県安芸キャンプでの渋滞は、語り草となり、以後亀山・新庄ブームでも越えられない壁となっている、という。

江川 卓と小林 繁

 一九七九年という年はファンにとっても忘れられない年になった。というのは、前年のドラフト会議でタイガースが江川卓を指名して交渉権を獲得し、政治家を巻き込む騒動に発展。また、オフには田淵幸一と真弓、若菜、竹之内(西武ライオンズ)などのトレードがあり、タイガース変革は急ピッチで行われつつあったからだ。
 そして、年が明けて一度はタイガース入団の手続きを経た江川卓は、巨人の小林繁とのトレードでタイガースに入団という離れ業で決着を見た。当時、私は毎日のように喫茶店でモーニングを取りながらスポーツ紙で動向を注目していたので、その結果に驚いたものだ。球団社長に小津さんがついており「オズの魔法使い」という言葉が紙面を賑わしていたのが記憶に残っているのだが、竹之内はともかく、真弓、若菜が入団したとはいえ、まだ実績が乏しい二人だったので、キャンプが始まる当時の記憶はほとんどない。あるのは、安芸キャンプが始まり、空前にして絶後というわれる小林フィーバーが安芸市内をパニックに陥れたという伝説である。
 「そりゃ、あの小林フィーバーは凄かった。一九九二年オフの秋季キャンプや翌年の新庄フィーバーも凄いことだったが、あんなもんじゃないね」とベテラン記者が語るフィーバーはとにかく国道五十五線がマヒ、渋滞の列はどこまでも続いたという。
 私はその当時、タイガース熱は醒めて冷静にプロ野球を楽しむ立場にあったが、江川卓には高校生時代から関心があった。何しろ高校野球で初めてセンバツ大会に出場したとき、解説者が「江川投手はサイボーグのようですね」と言っていたぐらいだから、その速球の威力は半端じゃなかった。とにかく江川一人で野球をやっているように連日報道されたいた怪物だった江川がタイガースと一度は契約することになるのだから、世の中わからない、と実感したものだ。

江川 卓KO!
 さて、小林繁のことを後回しにして、江川についてだ。六月二日後楽園球場での巨人対阪神戦で江川は先発登板した。私は出張帰りの伊丹空港のテレビで途中経過を知ることになった。タイガースは七回表二死まで負けていた。(さすが、江川やな。あれだけのブランクを押しての初登板でここまで投げるか)と小林繁巨人キラーになっていることも忘れて、逃がした大魚の大きさにほぞを噛んだそのときだ。空港のテレビの前に大歓声が起こった。何と、あのラインバック(事故で亡くなった)が右翼へ二死一、二塁から逆転3ランを放ったのだ。この日、スタントンも四回一死からホームランを打っており、江川のいわゆる外国人選手嫌い、一発病の伝統? を我がタイガースが植え付けたメモリアル・デーとなったのである。ちなみにこの日、掛布は腰痛のために出番がなかった。また、タイガースの先発投手は山本和行が完投。九人野球で巨人に完勝した経過は七月号の4ページに刻まれている。
 さて江川との交換トレードで入団した小林繁は文字通りタイガースのエースとなる活躍で対巨人戦8勝負けなし、しかも二十二勝九敗1セーブで2度目の沢村賞を獲得している。十一月号の表紙の佐野仙好(現打撃コーチ)の表紙の綴じ込みポスターには小林が掛布(ホームラン四八本で初のホームラン王)とともに会心の笑顔でおさまっていたものだ。ところで掛布雅之は田淵の後継者として四十八本塁打を放ち三十年ぶりの球団新記録(故藤村富美男の46本)で初のホームラン王に。人気と実力でミスター・タイガースの後継者として自他ともに認められる存在になった年なので印象深い。
 それにしてもこの年はいろんなことがあり過ぎた。
 小林繁の陰で西武ライオンズから移籍してきた若菜(三割)、竹之内(二十五ホーマー)、真弓(五月二十日中日戦でサイクル安打など)が好成績を挙げ、八月(真弓)、九月(竹之内)、十月(若菜)とそれぞれ表紙を飾っている。また五年目工藤一彦(現解説者)が大きな顔のアップで前歯が1本抜けた写真にインパクトがあったのは十二月号だった。いまは国会議員の江本孟紀は五月の表紙。二十年前、この顔ぶれで対巨人十七勝九敗と勝ち越しているのに、四位(六十一勝六十敗九分)だったのは納得できない思いだったのは当然であった。しかし、この看板スターのラインアップと個性的なプレーを見るだけでタイガースの試合の楽しみが増えたものだ。
 

わたしは、小林繁氏が日本ハムファイターズのコーチをしていられるのを知らないほど、野球情報にはうとくなっていたので、小林繁氏の急死の意味が理解できなかった、しかし、ニュースで江本さんが弔辞を読んでいる光景を見て、タイガースファンとしては、切ない気持ちになり、旧聞を探しまわったのでした。謹んで哀悼の意を表します。やすらかにお眠りください。