コーランが教える論理。「働かざる者食うべからず」の意味!

オレは若いときに、「東アジア古代文化を考える会」の大阪での例会(難波・高島屋ローズ会館、淀屋橋資生堂会館)は可能な限り行った。きっかけは、故・鈴木武樹教授の著書だったが、実際に大阪の例会で故・江上波夫先生の広大なスケールで話された「騎馬民族としてのスキタイ」の影響も大きかった。「歴史に何を学ぶかと」いう場合、オレの頭によぎるのは、故・小田実のいう鳥瞰図と虫瞰図の関係だ。空から大きく眺めればナスカの地上絵もわかるように、全体のスケールは想像力をたくましく視野を広げる。しかし、現実の生活は地にはいつくばって生きる虫たちのように虫瞰図のように、人びとは生きる。そこに文化が起こり、宗教が芽生える。

『世界石油戦争普及版』『世界金融戦争普及版(上下)』(広瀬隆著・NHK出版)は『赤い盾』や『持丸長者三部作』『一本の鎖』と同じようにまず、人つまり系図を徹底的に調査して、歴史の構築に当てる。実はこの手法は当たり前のことで、江上波夫先生などは「騎馬民族征服王朝説」という言葉だけが独り歩きして、中身を知らない人が実に多い。また、知っていても、「日本史」を「国史」といってきた先生方は、できるだけ矮小化したい思惑で、歴史を描いてきた。また、唯物論者は何でも、マルクス的論理から説こうとする。もちろん、江上波夫先生も江上波夫著作集2巻で、『文明の起源とその成立』(平凡社)で「古代都市文明の誕生と国家の発展」と「騎馬民族文明の成立」、「蒙古高原・錫林郭爾紀行」を独自論文と実地踏査で展開している。それはさておきと、しかし、ちょっと歴史を学ぶ気になれば、いわゆる騎馬民族系の歴史の系図は父系であることが常識であることなどすぐわかる。つまり、稲荷山の鉄剣の系譜が話題になったときにも、江上波夫先生はこの系譜の書き方は騎馬民族全般に共通することを看破した。

前置きはこのぐらいにして、さて、作家・広瀬隆先生が描く『世界石油戦争普及版(上下)』『世界金融戦争普及版(上下)』(広瀬隆著・NHK出版)では、いわゆるユーラシア大陸の国々及ぶアラブ諸国の概略の歴史、人脈、および考え方、それに関わった、大国(旧ソビエト連邦)ロシア、アメリカ、イギリス、フランスなど及びイスラエルの金融・石油から見た歴史を膨大な系図から提示している。

「働かざる者食うべからず」

オレはこの言葉をオレのような現在の境遇つまり、年金では食えないので、健康上の理由もあり、最悪のことを考えて、生活保護を受けている立場なので、アラブ世界、イスラム世界では生きていけないと思っていたのだが、実はこの掟の意味はそうではなかった。

コーランは命じる。金によって金をつくることをイスラムは禁じる、と」
「働かざる者食うべからず」という意味は実は先物取引金融派生商品などには、投資してはいけない、という教えでもあった。

『世界石油戦争普及版(上下)』212ページから。

「交換手段にすぎない金には価値を認めず重要なことは、生産的なことにおいて危険を恐れず人間が示す努力と行動力を勇気あるとみなすからだ。ムハンマドはここから一歩進めて、金を無駄に抱えていることは好ましくない、有効に投資せよ、人びとに奨励した」
早い話、インサイダーはあきまへん。酒・ばくちあきまへん。アラブ世界で妻帯4人も認められているのは、部族社会で未亡人の救済の意味もあったことは、本多勝一の『アラビアの遊牧民』(朝日新聞社)でも詳しい。

ここまでで一度、書きとめていた。続きは自分の頭の整理をしてからと思ったからだ。

江上波夫先生はいう。『古代と現代の対話』(著作集・平凡社)から53ページ

《労働は人間にとって果たして宿命的なものか、」》と、問いかけて

《労働が必要でなくなる時代が来るのではないか。
 人間が一日も休みなく働いたのはおそらく狩猟・採集時代で、農耕・牧畜がの生産経済を始めてからの人間はかなりの閑暇をもつようになった。そうして文明の基礎をなした諸文化要素をつぎつぎに発明・創造した。
 それもひとえに暇ができたお蔭だった。産業革命を経て人間の生活はますます向上し、理屈のうえでは、ますます閑暇をもつようになったのが、現代でもなお働くことを要求されている。「働かざるものは食うべからず」という原則ガ人間を拘束し、支配している。
 しかし考えてみると、この原則は甚だけしからんので、私は、人間は働こうが働くまいが生きる権利がある、無条件で生きる権利があるというのでなければ本当に自由ではないように思う。》

つまり江上波夫先生は、泥棒や強盗して捕まったら刑務所で食わしてもらえる。しかし、何もしないで働かない善人、あるいは不本意にそうなったひとは「死ぬほかないという世の中は本当におかしい。」と問題を提議しており、

《「働かざるものは食うべからず」という原則は生命の尊厳を真剣に考えれば暫定的な条件で、永遠のものではないはずだ。現代人は自由だ自由だと叫んでいるが、働くという前提条件のもとにあっての自由で、したがって本当の自由ではない。絶対的自由は、人間が働かなくても食える時代、人間の生命が無条件で保証される時代が来て、初めて得られるものだろう。》(初出・『文藝春秋』昭和四一年八月号・”放談”━━人類が自由になる日)

結論として《人間は好きなことを自由にやれるようになり、本当の意味の文化が、そこから出発することになるのではないだろうか。
 現在までに人類が所有した真の宝物「人類の遺産・文化財」は、思想や芸術をはじめ、すべて余暇に創られたもの、人間が食うために働く余暇をさいて作ったものである。》
そしてですね、全人類が余暇を生きるという生涯を夢想され、「人類史上の奇蹟」を語っていたのだ。いまから43年前。

事態は最悪。国際金融資本は搾取と戦争による虐殺の日々。「働かざる者食うべからず」は日本のような国民保険・厚生年金積み立てていても、私のような団塊世代は、働けと世間は脅迫してくる。ラクして生きたい。自由に生きたい、というと、社会の敵のように見られる社会に安住の岸辺いや、港はいずこにあるのか? というのが、「政権交代」のテーマになるのは当然なのだ。

姥捨て山棄民政策後期高齢者医療制度障害者自立支援法、医療費の高騰、派遣法の拡大、自衛隊の軍備拡張、世紀の愚作の補正予算郵政民営化の闇、米国債パンクしたら、どうなるの。

オレはお金持ちのヒモになるか、シュリーマンになって、火事場泥棒になって稼ぎ、自由を得てチャラにしたい。という割には、自由に生きていると不自由をあじわっている日々の逆説、一寸先は闇。