「市民運動の多様性を!!」ブログ・ネットはあくまでも運動「道具」だ。

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植草一秀氏のブログ。2009年6月16日 (火)↓
植草一秀の『知られざる真実』 - http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
テレ朝偏向TVタックル「かんぽの宿」疑惑隠蔽

6月13日付記事
「テレ朝報道ステーションの救いようのない欺瞞」↓
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いまから、30年も前のことを振り返るのは、死んだ子の年を数えるようなモノだとは思いますが、「言論の自由」はいまより、多様で鋭く、いわゆる市民運動などや諸先生方の運動にも、圧倒的に市民を巻き込むパワーがあった。しかし、いま、小沢おろしの国家権力の横暴が許される土俵には、権力側の自浄能力がもはや、期待できないことを露している。

まず、最低限の歴史認識から始めよう。オレの手元には『古代史の魅惑と危険』(鈴木武樹(たけじゅ)・亜紀書房)が手元にある。
1977年4月5日第1版発行だ。著者の鈴木武樹教授は1934年生まれ、当時は明治大学の教授(ドイツ文学・ジャン=パウエル)研究家であり、翻訳家、エッセイストとして膨大な著作を出していた。しかし、オレの住む相模原図書館には氏の蔵書は一冊も検索してもなかった。オレの考える以上に事態は悪くなっている。

鈴木武樹は当時だけで『わたしの古代教室』(新人物往来社)、『日本古代史99の謎』(産報)、『偽られた大王の系譜』(秋田書店)、『地名・苗字の起源の99の謎』(編著、至文堂)、『消された「帰化人」たち』(講談社)、『わが夢想と戦いの日々』(風媒社)、『共和国を夢見る論理』(すずさわ書店)、『元号を考える』(編著・現代評論社)など膨大な著作を専門以外の分野でも発表し続けた。

また、’72年に始めた『東アジアの古代文化を考える会』では、「わたしたちは、日本の古代文化を東アジア史全体の中に正しく位置づけて理解するとともに古代文化研究の成果を専門家の手から市民一般に広く開放しようとするものである。」という趣旨で第一回は東京・深大寺に男女160名が集まってスタートした。当時は沖縄返還協定が5月に実施されたことが偶然かどうか、興味深い。

オレは、この年、急速に何かに取りつかれたように社会的に目覚めたと感じた。
前年の黄金週間にオレは、9日間の連休を社長に申し出た。思えば、社内勤務規定の原案作成もなぜかオレが担当したような、従業員が当時で50人にも満たない会社で、オレの申し出は前代未聞だったようで、社長は激怒した。「9日間の休み!」いまなら不況で「どうぞ!!」と首を切られそうで怖いので言い出せないけれども、当時、オレは会社の株主でもあったし、年間に2万円の配当を貰い、いろいろなイベントでは、高級酒や小遣い、あるいはオパールのネクタイピン(質屋に入れたが当時でも万単位貸してもらえた)を貰ったりしていたので、信頼が厚かったと自負していた。しかし、プラニング部門に配属されてからは、仕事もそこそこできたが、興味がどんどん広がっていた。上司から、

毎日新聞社の主催する懸賞論文に共同で応募しようという提案を受け、『自然心理学思考』にまとめたりもしていた。そのような活動が社長にうとまれるというか、自分の手に負えない分野に活動を広げようとする知的好奇心に問題があったらしい。オレは社長に「〇〇クン、何考えとんねん!」と一喝され、連休の申し出は却下された。

さて、本題は運動の多様性の活発化した時代と閉塞感のある現代とは明らかに違うということを感じているので、その事実を少し見てみたいのだ。鈴木武樹はすでに朝鮮語を学び、「日本語と東アジアの諸言語」を第一回講演テーマに選んでいた。『古代史の魅惑と危険』の解説を担当した当時の毎日新聞社、社会部副部長の原田三朗氏はこのテーマが沖縄返還協定と関連していることを記し、

以下引用
《〔日本国を相対化して考える鈴木武樹の思考方式からいえば、琉球は日本の一部なのかという疑問は当然のものであった。「沖縄返還」に反対する沖縄の若者たちを支援する鈴木武樹は、ここでも言語から問題にアプローチした。琉球語は日本語の一方言ではなくて、現代日本語とは姉妹語の立場に立つのではないか? とすれば沖縄と日本は対等の立場である、という政治的主張に、文化的証拠が与えられるのではないか、というのである。〕》

当時、日本の起源そのものがまだ謎だった。したがって、日本語の一方言ときめつけるのは問題ではないか、と問いかけた。
その帰結として、琉球語の専門家・外間守善氏をシンポジュウムに加えた。当時、毎日新聞社は「東アジアの古代文化を考える会」の講演記録を「古代文化シリーズ」として出版していた。オレはそのころから、少しづつ、単行本を買い集めた。翌年の7月に、「東アジアの古代文化を考える会」のシンポジュウム記録が出版された。『古代日本語の謎』(毎日新聞社)。
当時はまだ、小企業といえどもサラリーマンであり、自由時間が少しは取れる境遇にはあったが、日曜出勤のロケハンやロケ及び現場取材や立会いの仕事も多く、休みは少なかった。従ってオレは7年間勤めた会社を翌年の4月に辞め、遊んでいた時期だったので、著書を買うことができたのだった。

以後、鈴木武樹は東アジアの「古代文化を考える会」を追い出されたが、「東アジアの古代文化を考える会」は運動体としての機能は停滞したが、オレのもっとも尊敬する故・江上波夫会長の講演を聴き感動して以後、オレは趣味で「東アジアの古代文化を考える会」の大阪講演会に出るようになった。

閑話休題

それから、三年後の9月にオレはフリーとなり、自由の開放感とオイルショックによる不安な未来に船出したのだった。オレは7年勤めた会社を辞めたときに、「自由」って何なんだろうか、と考えていた。そして、何気なく見たテレビの深夜番組にハガキ一枚にまとめて、応募した。

《「自由について述べます」とひとこと発してからは自分でも、いいたいことがあって出演したのだか、すらすらと言葉がでてきた。
 「実はボクは失業しています。そこで〝自由〟になって〝自由〟について考えた、というわけです。
 〝自由〟は大海に浮かぶ小舟のようなものです。どこにも頼ることのない不安定な状態です。しかし、その状態になってこそもっとも自然なんですね。一体、人間はいつの間にこの喜び、不確かさを忘れてしまったのでしょうか? 波に浮かぶ小舟はときにはおしあげられ、前のめりになり、斜めになったり、さかさになりかかったりするが、結局は元の位置にいることができる。それを見ると、〝自由〟とは奔放という言葉にこそふさわしい状態なようです。波に浮かぶ小舟はちょっとした冒険心と恐怖とそれを耐える力と、それを乗り越えたときの平和な喜びを誰よりも強く得ることができます。〝自由〟という名の切符は大海の小舟にこそふさわしい様である、とかんがえるゆえんである」》


思えばこの考えに取りつかれて以後、オレはまさに、高校時代に「ラ・マンチャの男」よろしく、ドン・キホーテに憑依され、いま団塊世代の青春の尻尾と青年の日々の甘く切ない恋愛体験をひきづり、統合失調症という名の妄想の日常を経験することになった。

ところで、76年から77年にかけて、市民運動やいろいろな政治課題について、実に多様であったことを、オレの手元にたまたま手にした案内だけでも、感じる。
たとえば、ロッキード疑獄をきっかけに『週刊ピーナツ』(ロッキード問題共同市民デスク)が発行された。また、その新聞は単行本として合本もされた。また、77年参議院議員選挙では革新自由連合から、鈴木武樹教授が出馬(オレは鈴木武樹の著書に限らす、古代史関連の著書はほとんど目を通していたので、当時、借りていた小さなビル? のオレの個人仕事場からムシロ二枚をつなぎ、そこに和田誠さんのイラストを拡大してペインティング、垂れ幕のようにして応援したので、家主からいやみをさんざん言われた。)

さらに、アイヌ青年参政協議会からは全国区で成田得平氏。何とその推薦ハガキは当時小田実とともにもっとも多くの著書で影響された本多勝一氏(現在・『週刊金曜日編集委員)からハガキが長野県伊那谷から届いた。さらに〔吉武輝子とともに新しい運動を求める人びとの会〕からも資料が届いた。もちろん、日本共産党関連のハガキもあったが、手元にはない。が関連運動芸術団体の資料はまさにオレの人生の記録だった。
また、ピーナツ関連では、

〔『私の絶対認められない国会議員』を選ぶ・マイナス総選挙実施決まる〕というユニーク運動な案内も届いた。題して『マイナス総選挙実行委員会・東京クラルテ』が届いた。ピーナツ議員を国会に送り出さないことを模索しての運動体であり、
〔私達はピーナツ高官を許せない。国会議員を認めない。選挙区民さえつかんでいれば当選することに「NO!と叫ぼう!」と、「NO!」と叫ぶことで選挙の棄権という行為をひとつの力に反映されるような制度を作り上げたい〕という趣旨だった。76年の12月13日よりハガキで受け付ける。「私の認められない新衆議院議員」を1名記名で投票する。投票資格は一切無し(年齢。国籍・性格等不問)。もともとの運動体は〔「椎名」と対決する市民集会だった。〕

77年の2月24(木)には、〔弾圧とたたかう反公害住民運動・全国集会〕のハガキが届き、福田=石原体制以後の住民運動に手錠をかけようという国策に対抗する衆会が行われた。
講演は宇野純、荒畑寒村で演題は「足尾に始まる弾圧と住民運動」。また水俣、佐賀関各地の住民運動から報告があり、場所は自治労会館国電市ヶ谷日本テレビ前)だった。4月には、〔「反東大・反百年祭」集会〕の案内ハガキまで届いた。オレには直接そんなエライ大学関係ない。しかし、その運動の参加者には鈴木武樹宇井純などとともに名を連ねていた。

以下引用

〔この4月12日、東京大学は創立百周年を迎えるにあたり、「百億円募金」「百年史編纂」等の計画を推進し、当日には「記念式典」を予定している。だが、東大の歩んできた百年の歴史は、私たちにとって真に祝うべきものだろうか。
1877年の設立以来、東大は常に私たちの前に支配者、差別者として表われてきた。現在、東大はロッキード疑獄に連なる政府高官たちの温床であり、反公害住民運動の前に立ちはだかる「御用学者」たちの溜り場である。その東大は、この「百年蔡」をもって、己れを反省する契機とするのではなく、さらに政・財・官界(筆者注、これに御用メディア、米国を加えて悪徳ペンタゴン)との癒着を強めようとしている。
私たちは、この「百年蔡」に対する抗議の意思表示として、「反東大・反百年蔡」集会を行う。ここに多くの方々へ、集会への参加を
よびかける。
主催:公開自主講座「大学論」実行委員会]》

場所は安田講堂。しかし、オレにはまったく直接的には関係なかったけれども、宇井さんを始めとした有志は理論に人ではなく実践的でもあった。また、次の日には〔「歴史の偽造を許すな!」〕と井上清氏の反東大公開自主講座も開かれていた。
〔「いまこそ世直しを市民連合」〕自衛隊の拡大阻止や「靖国神社法案粉砕・天皇元首阻止」など関西での運動案内も多数届いたものだ。

翻って、いま「自公政権」は郵政民営化の闇を覆い隠し、西川社長の続投を決めた。郵政民営化問題は、植草一秀氏が学者の良心として、ブログにおいても、連日、問題点を書き、メディアの不当性を糾弾はhttp://www.zakzak.co.jp/spo/200906/s2009061514_1.html、悪徳ペンタゴンの政界・財界・官界の癒着に加えて、御用ますこみ、外資(国際金融の米国)の手口を暴露しつづけている。しかし、小泉・竹中一派は開き直りこの後におよんで、「郵政民営化!」の掛け声を言う始末だ。しかも小泉は、息子・進次郎を後継者に立てた。

ネットではガセネタも飛び交い出した。石原の息子(伸晃)で、闘う!、しかも橋下知事東国原知事を内閣に。冗談も休み休みにしていほしい。彼らの票は今度は伸びない。オレは創価公明党を全力でつぶす。あらゆる〇〇〇芸能人のオレに絡んだ動きを暴露する。オレの息子に何をしたかも暴露する。これは、「政権交代」のための聖戦? だ。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/49608867.html
オルタナティブ通信氏「日本を破壊しているのは誰か」より↑

彼らの卑劣な行為の数々を暴露すると、その本質が見えてくる。

とりあえず、ここにも引用しておこう。



南無阿弥陀仏」・浄土宗信仰と八百万の神、および葛城山麓にある「一言神社」の神々を総動員して、「自公政権」の卑劣な手段に天誅のあることを祈願する。

ところで、オレが最近信仰した「二神」大明神(法政大)は見事、日本大学野球選手権の王者になった。
http://www.zakzak.co.jp/spo/200906/s2009061514_1.html

結構、当たるほっけの太鼓!こころして自公の弱みをつこう。新党日本有田芳生氏、足代出してくれたら、いつでも応援集会にはせ参じますよ。都議会で自公におおきな顔させないためにも、「都はるみ節」で東京セレナーぜと参りましょう。保坂展人さん、石原ごときに負けるな。もう、裕次郎の企画ひとつつぶしました。奴らの手口にさせないために、交通費出るようでしたら、何らかの応援したいと存じます。

気分は早く趣味に生きたいのがホンネですが、この後におよんでの悪あがきに、創価の名誉会長から見れば、「金平糖」つまり、こどものお菓子でしかないのだ。勝ちましょう。O代表など。頑張れ! 民社:社民;国民新党新党日本新党大地(鈴木宗夫)日本共産党は独自路線だそうですから、都議会選挙ではせいぜい議員数増やしてください。ここで叩かないと、彼らは「東京新銀行」の口聞き疑惑はじめ、数々の不正うやむやにしかねない。その上、地上げ屋石原都政築地市場豊洲移転問題に、ごり押し東京五輪誘致。無駄金でスペイン(誤記)正しくはスイスまで行って、恥の上塗り、ここに極まれり。末期の禍根残す土壌汚染で鮮魚の取引。オレはイタイイタイ病水俣病になるのは、やだ!!。

都民の怒りはデモだ!! 6月27日
Like a rolling bean (new) 出来事録様から
築地があふれた!!2009 壊すな築地 6.27 東京大行進II

http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10272437232.html

2009/6/27(土)

 11:30に築地市場正門前集合、12:30スタート(雨天決行です)

気付いたらこんな時代のこんな出来事が・・・