M・Kの独断偏見診断簿プラス植草一秀氏収監の権力の横暴に抗議して!(追記 さらば民主党への戦線布告。後藤祐一、もとむら賢太郎落選運動)

torayosa012009-08-03

植草一秀氏が収監されたという。なんという権力側のタイミングだ。予想されたとはいえ、みにくい。ひとつきという長いインターバルに自公政権はあらゆる悪あがきをたくらむ。本実もオレのアキレス腱を攻めてきた。しかし、オレは我慢する。耐えた。いや、ひとときは久しぶりに、癒された。嫌われていないと感じた。「そえじま」の名札が悩ましい。だけど、まず、高みというか、得がたい金に左右されないポジションを取らないと権力とは戦えない。別コーナーでその秘密を書くが今日の秘密は書かない。彼女の想いはわかった。ありがたかった。しかし、黒子が続々でてきたので、オレはアドリブをかました。でも、鏡を見るのが照れくさい二人の時間を過した。


ところで、別ブログで書いたのだが、いや、もう誰が嫌いって、M・Kほど嫌いなタレントはいない。(下書きしていたのを加筆して公開だ。)
オレはある時期、約半年ぐらいしつように、M・Kにつきまとわれた。しかし、彼女には何の魅力も感じていない。この記事を書く前に、M・Kのブログ見たら、反吐が出そうな若つくり、もう限界超えてるやろ。無理しなさんな。と、思ったものだ。

http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/(このサイトは閉鎖されている)

彼女が最初に接触してきたのは、某西宮で二軍の試合を見ているというより、オレは仕事しているときだった。土砂降りになり、いつ中止にしてもおかしくない状況で、Tの二軍が社会人のNOMOBCと交流試合をしていた。

そのときに、どこかで見たことのあるタレントがいた。元嫁が学歴(横浜国大)の割に彼女を嫌っていたので、名前はよく知っていた。しかも、日本国内でブログが始まったばかりのころ、M・Kのブログはタレントブログとして、草分けで「ブログの女王」という冠がついた。(追記 彼女は多分、創価ではないと思います。)。

(追記2 彼女が反原発運動に参加しておられるのなら、その変節大歓迎なので、官邸前抗議デモに参加は大歓迎してお待ちします。)

そのころ、オレが住んでいた奈良・吉野にもブロードバンドが入ってきた。ひとつは、役場と第三セクターの有線放送ブロードバンド、もうひとつは関西電力が光電話とのセットで格安料金で100Mを提供するという、ニュースが入ってきた。それまでは、64bit/sという遅いNTTのサービスなのに、ターミナルアダプターなどに設備投資は10万円以上かかっていたのだから、オレは有線テレビも「大和高田まできているから、いずれ吉野(O)町にもつながりますよ」という言葉につられて、100Mに入った。それまでは、HPに投稿するぐらいだったのが、ブロードバンドを手にしたことによって、オレでもブログできるんじゃないか、と思うようになった。それまでも64Mでも細々と無料のHPサービスなどで、古代史の感想や、自分の蔵書コレクションなどを投稿したりして遊んだいたのが、ブロードバンドによって、ケイオプティコムのeo光によって、世界が一気に開かれた。
(このeoオプティコムの宣伝に出て、原発再稼働に加担しているのが唐沢寿明。ミヤネ屋などのスポンサー。関西電気保安協会


そこでeoブログを開設した。最初はまったく何をやっているかわからなかった。意味がわからない。トラックバックや、コメント欄や写真の掲載要領などわからないことばかりだったが、何度も失敗しているうちに要領がわかってきた。

最初はプロ野球二軍情報の日記にした。HTファンとして、まぐまぐなどで、メールマガジンの走りを経験していたので、その記事を中心にした。やがて飽きてくると、もっと本格的に書いて見たくなった。そこで、あちこちの無料ブログも試した。その中のひとつがso−netブログだった。SONYの株主として、大損害をした怨念があったからだ。これぐらいただ、で使わないと間尺に合わない。

そこで、あそびとしてココログのM・Kのブログにトラックバックすることを覚えた。芸能人のグラビアアイドルなどにTファンがいるとは思えなかったのだが、トラックバックすると読んでもらえる率が飛躍したのだ。それで、M・Kのサイトをたまに見るようになった。

ところで、M・Kに戻そう。土砂降りの二軍戦にジーパンに長袖のブラウスのようなシャツのラフな格好で見ている珍しい、学生? というのが最初の印象だった。横には付き人か恋人か知らない男がいたが、中止になる前に球場の隣にあるN体育館の駐車場に止めてあったワゴン車で消えた。もちろん、そのときには、M・Kとは気づいていない。まぁ、二軍の球場だけど、そこにはあきらかに場違いな可愛い娘が結構、出没していたから、別に驚くに足らない、というのが真相だ。


さて、M・Kはその後、頻繁に現れるようになった。あるときは、環状線の座席で、あるときは、社会人野球日本選手権の開かれている京セラドーム大阪で。ときには、小さなこどもをつれて何かを訴えるような仕草をしだしたので、はっきりとわかるようになった。当時は売れていなからか、暇もたっぷりあったようで、あちこちに現れた。いずれこのシリーズにも書くが、複数のタレントで競うように現れたこともある。


オレも最初は、松山西条高出身選手もいたので、M・Kをそれとなくいじったりしていたのだが、つまりブログの女王の書き方をもじり、顔文字などを多様したり、ブログ語をマネして、誇張したりして遊んでいたのだが、だんだん、わずらわしくなった。彼女には罪はない。しかし、オレには度が過ぎると煩わしいだけだった。しかも、目があうと、とにかく媚(こび)が目立った。オレの嫌いなタイプの女なのだ。
「M・Kが(男と)二股にだって!」などともう、遊んでいる気もなくなった。

嫌いなのだ。あの媚(こび)た目が……。

いまというか、途中でわかったのは、どうも、ある筋がオレを「テロ犯」として、追っていることも判明した。「何と馬鹿な!」

メディアはまんまとオレの罠にはまったのだ。オレはあるときを境に、毎日が地獄の目に合わされた。吉野からの行き来はクルマに乗っていたので、いつも緊張の日々だった。大型ダンプやトラックが峠で猛烈なスピードで車間をつめてくる、あるいは、前をさえぎり大型バスやトラックが縦列駐車していて、その先が見えないのに車線変更を迫られる。思えば地獄の日々だった。そこで、オレはアラブ系の癒し音楽CDを100円ショップで買い、それをCDカセットに必ずセットして走った。それが、彼らには、逆に威圧になることを学んだからだ。とき、イラク戦争突入、アフガンの争いも泥沼化、イスラエルパレスチナの行方も見えない、
まさに『一本の鎖』(広瀬隆ダイヤモンド社)の世界に自分を置いた。



それでも、オレはブログで誤解を受けることを書き自責の念にもかられていた。
オレは義妹(弟嫁)に電話して、

「〇〇さん。オレは死んだ方がええんやろか?」と本当に悩んだ。


そして、仕事に追われる日々、糖尿と〇〇ドーはその精神的苦痛に追い討ちをかけた。日々のいやがらせは、オレを精神科においやる手口だったと、悟ったのは、地元の人権擁護委員会に相談に行ったことで、すべてわかった。そこは〇〇〇〇会館と一対だった。オレは井上清の本なども読んでいたし、自分の出自もあやしいものだ。だから、かれらに相談することすなわち、やぶへびだったことを知った。そして、
オレは唯一の親友と呼べる友に二十五年ぶりぐらいに電話した。その組織もオレの電話を歓迎していないことはわかっていた。オレはこどもが高取にできた関連施設でそれとなく世話になっていることを知ってはいたが、必ずしも、その施設の責任者とはいい関係ではなかった。



前提に相手のフィルターがかかっている以上、組織としての民主団体といえども警戒するのは、オレがひとりでも生活する決意のタイプの人間であることの習性だった。

「〇〇ちゃん、ひさしぶりです」
オレは突然の電話をます詫びた。精神的に疲れていること。起っていることの事実を喋り出した。すると盗聴が始まった。さすがに、〇〇ちゃんも気づいた。
「私たち聞かれて困ることなどしていなから」、と心療内科に行くことを進めてくれた。

さらに「ブログなんてやめちゃいなさいよ」といわれた。

翌日、私は試合もなかったので、気分転換に飛鳥を訪れた。石舞台公園や高松塚のレプリカにも入場した。飛鳥歴史博物館にも行った。それでも、〇〇〇たちのいやがらせは続いた。もう、無視するしかない。ここで決めた。金があれば、韓国式マッサージで持病の腰を治療し、エッチサービスも受ける。ただし、相手との相性が悪いと感じた場合は二度と同じ娘は指名しないことを決めた。そうだ、自分で癒しの抜け道つくればいいのだ。



ところで、M・Kだが、オレをしつように追ってきたグラビアアイドルの中では、一番何というか、オレの好みでなかった。演技が下手。一応、『世界の中心で愛を叫ぶ』のパロディをブログに載せるタレントなら、京セラドームでチアーガールコスプレするなら、「それなりのトレーニングしてから、出て来い!!」といいたい。ほか、一名も。(こちらは嫌いではない。ファンでもない。浮気もいまならしたくない。まわりの著名評論家からは「何であんな可愛い
女性を!」といわれたが、現実の世界で、馬鹿殿になりたくないわね。普通は。)わかるひとにはわかる。


今年の三月後半、だったか、偶然東TVつけたら、M・KとO・Aアナと解説者のK氏(元ヤクルト・中日)が番組卒業という名の編成替えに合ってしょぼくれていた。K氏の
解説には罪はない。しかし、M・Kの「セクシーショット」などという噴飯ものの企画は、オレには許せなかった。M・Kがそれでも登用されているのは、雑誌媒体も含めて、メディアの象徴のように見えた。ちなみに、本日のM・Kのブログもどうでもいい、話。もう、賞味期限はとっくに過ぎている。

漫才師の彼氏とどうなったか知らんけど、彼女に女優は無理。

「カット、カット!」

ちなみに『週刊ポスト』の対談の見苦しいこと。パブリシティでも、あ・Kぐらいの知性(学習院大)ぐらいのレベルに上げてくれや!! と「あ・K」クイズの女王二代目には女優的関心があるので、ごまをすっておく。ちなみに初代は女優M・Yさんです。ピカピカに光って大ファン。あれ、『雨上がる」や。

ちゃんちゃん。


その後、M.K所属の事務所は大型脱税をして、賑わしたあと、事務所の名前を変えた。アバンギャルドな事務所はBニング系独特の腐臭を放って、城内実の選挙ポスター事件を起こした。はっきりいう。オレはM.Kは大嫌いだ。その媚びた目に魅力はない。ちなみにもうひとりの

なんとか〇りんは、やはり周辺に一時期出没した。オレには彼女に特別な関心はなかった。〇〇〇の娘でも、オレの味方にしたい女性にはオレなりの配慮で手紙を書いたり、イラスト送ったり、それなりの配慮はした。しかし、このM.Kらのタレントには何の関心もなかった。むしろ迷惑だ。M.Kのようなタレントとの関係性で選挙を有利にしようという、魂胆がもう、さもしい人物が城内実だった。
それなら、民主党候補の方がましだ。

静岡7区 ちなみに民主党の若き候補者

     斉木武志候補をヨロシクです!(晴天とら日和)のとらちゃんの記事から借用しました。