植草秀一氏の『売国奴たちの末路』の実現へブログデモ賛同!!


weight:bold;">植草秀一氏の実刑4か月の判決がいかに、権力の恣意的な結果かも誰でもが知った。にもかかわらずに、権力側の自公及び司法・検察はトンデモな判決を出す。冤罪に加えて公民権の事実上の封鎖、これが何を示すのかは明らかだ。権力側の自公の悪事の数々、悪政の露見を怖がっての最後のあげきだ。解散・選挙に実質40日もの期間を必要とする根拠の違憲性も指摘される中の強行。こんな連中に有名ブロガーが一斉に意思表示することを提唱された。(ただし、非有名ブロガーの私が書くのは気がひける。ヒット数のカウントが少なすぎて、「Hです」にぼろ負け。其の割に手応えありすぎたり、わけわからん。7月23日追記)


植草一秀さんを守りたい!「みんなでブログ・デモ行進」のお知らせ。 ブログで同日一斉に発信!
http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/624.html
投稿者 夏みかん 日時 2009 年 7 月 20 日 13:50:39: MflmtOAidUZDw

植草一秀の『知られざる真実』
マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog

クマのプーさん ブログ
2009年07月15日 「死顔の真実」(最下段)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-dc03.html
「自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」
http://www.asyura2.com/09/senkyo58/msg/692.html 



老子50章が「自公への別れの手紙」となる。

 

生を出でて、死に入る。生の徒、十に三有り。死の徒、十に三有り。人の生きて、動きて死地に之(ゆ)く、亦(ま)た十に三有り。夫(そ)れ何の故ぞ。其(そ)の生を生とするの厚きを以(もつ)てなり。
 蓋(けだ)し聞く、善く生を摂(やしな)う者は、陸を行きて兕虎(じこ)に遭(あ)わず、軍に入りて甲兵(こうへい)を被(こうむ)らず。犀(さい)も其の角(つの)を投ずる所無く、虎も其の爪を措(お)く所無く、兵も其の刃(やいば)を容(い)るる所なし、と。夫(そ)れ何の故ぞ。其の死地無きを以(もつ)てなり。

 人は生をまっとうする者が十分の三ある。早く死ぬ人が十分の三。また、生きるに執着して死に向かう者十分の三ある。
 うまく命を守る者は、丘陵を通っても犀(サイ)や虎を避けないし、戦においても甲冑(かっちゅう)や武器を身につけない。サイは角で突けないし、虎は爪で引っ掛けないし、武器は刃を加えられない、と。それはいったいなぜか。そもそも死ぬいわれがないからである。

(参考 『老子中公新書岩波文庫・訳者(蜂屋邦夫)完全、引用ではありません。兕(じ)は犀(サイ)のことだそうです。陳謝!