メディア、M・D〇〇〇からの独断偏見診断簿(その6)

あるとき、私の住んでいた奈良・吉野の自宅から、貴重な私のアルバム(フエル式)が紛失した。また、当時は最新だった、ノートパソコン(IBM B5)や旧DOSのパソコン通信できるパソコン、及び、オウム真理教のマハーポーシャの販売としらずに、当時(’95年)最新のデスクトップをメーカー品の半額だったので、つられて買った。そのパソコンたちが、2002年を境にすべて何者かに、ソフトを改竄され、私の力では、ソフト立ち上げ不能になる事件が起った。その前に仕事のためにやはりIBMのノートパソコンのカラーWINDOW95を32万円を奮発して買った。そのパソコンはしかし、メモリーが少なく、ウイルコムに対応していなかった。やむなく、12万円を奮発して、SOTECのノートパソコンを購入した。思えば、高いパソコンが現在のメモリーマザーボードの進歩を考えれば安くなった物だと思う。

ところで、この話のまくらは実は私の〇〇〇のメディア関係者の所業とM・Dという記者もどきというか、記者をやっとことのある、Yの芸人の工作員に言及することになる。一応フリーPR雑誌記者だった私は、ある注文に応じた。その仕事は弱いT球団にあって固有の現象で二軍の情報を知りたがるコアなファン層がいたことに始まった。最初はある個人二軍サイトに最新情報を書き込むことにしていた。そのうち、やるなら、面白い方が良いと思ったので、サイトの主宰者の協力を得てコラムを書くようになった。思ったより読んでもらっているようなので、新聞記者が知らないことを記事にした。そこにほとんど記者がいないのだから当然だった。

東村山新聞への妨害、嫌がらせの〇〇〇の実態!       ↓

http://www.youtube.com/watch?v=KQ1bkEqJEQ4&feature=related
ある〇〇〇の告白!!

1、私は創価学会員ですが、昨今学会のあり方ー非民主主義、全体主義、思想統括、排他的、法華経唯一論、罰論、地獄論をいぶかしく思います。
阿鼻地獄や罰など過激な条件付きの幸福論は不条理です。
池田氏が世界を駆け、大変な数のメンバーが増えつずけています。
そして多くのメンバーが教義実践上で心理的圧迫、
強迫観念に悶々と苦しんでおります。
ちなみに、私の知人は強迫観念が高じて神経症になり、精神科で心理カウンセリングを受けたほどです。幸せになるために、仏法に帰依したのに、嘆かわしいことです。

2、創価学会日蓮仏法の正義を轟々と法論しますが、
日蓮執筆の書簡の解釈論は、時間と労力の浪費でしょう。
何を信じるかより、何をするかが問題です。
巨額の資金を有す、巨大宗教団体が何をするか、何を言うか、
人々の心理にどのような影響を与えるかに焦点を当てるべきなのです。
いずれにしても、21世紀の自由、平等、平和、民主,多様性の世界を侵食する思想は,
必要ありません。また、神仏をめぐって、恐怖、罪悪、罰意識を培養する宗教も不必要です。もっとも、神仏の名を拝借して、平和、教育,多様性などを宣揚する事自体、
荒唐無稽ですが。 まして、それを道具に人の魂を侵し巨額の資金をかき集めるなど言語道断です。
私たちは決して沈黙してはなりません。創価の社会癌を語り尽くしましょう。
巨大宗教に知性が沈黙するとき、宗教乱用による過去のおぞましい大過を繰り返すでしょう。それは歴史が証明しています。
フランス, オーストリア、チリ、シンガポールなど諸外国では、すでに創価学会はカルト性宗教の認定を受けています。
日本の知識人、ジャーナリズムはいったい何をしているのでしょうか。

3、創価学会員の法外恣意的な現証理論に悩まされていませんか。
例えば、信仰して良いことがあれば功徳、困ったことがあれば宿業や障魔、
信仰をさぼって良いことがあれば魔の誘惑、困ったことがあれば罰だといいます。
同じ出来事に遭ったとしても、人によって信仰との結び付け方は様々です。
目に見えない功徳や罰の蓄積も言えるのですから、信仰の結果はいくらでも都合よく解釈できます。
こうした、たわ言に、心理コントロールされてはなりません。
罰論や地獄論は、古代から利用された究極のマインドコントロール手法なのです。

4、池田氏の指導は、過去の偉人引用による我田引水が甚だしく、
オリジナル性に欠如します。
世界の要人と会談、平和提言はするものの、
身の危険の伴う戦地、被災地、難民キャンプなど一番苦しんでいる人たちの所へは出かけません。
常に、ボデイガード、運転手付最高級外車、高級衣服に身を包み、数億円の年収、創価学会を独占有し、
拍手と喝采演出のあるところにしか出むかないのです。
こうした傾向は虚構な平和運動の印象を与えがちです。
また、メダル学位の誇示発表は一宗教家として控えめになさるほうが、賢明でしょう。そして、財務の収支、大学や諸団体への寄付金や受賞のプロセスの詳細を会員に公示すべきです。それが民主主義の原理であり、メンバーへの最低限の誠意でしょう。

*組織のあり方、人間関係に苦しみ、悩んでいる創価学会員の方へ、下記のリンクをお勧めします。
また、活動家の学会員もオープンな気持と勇気で、読んでみてください。
はっとする心当たりがあるでしょう。
http://park5.wakwak.com/~soka/
http://iwatachi.com/watasi01.html

追伸: 当然ながら、私は創価学会脱会を考慮していますが、ある末端のリーダーから、
裏切り者,忘恩者は決して許すな、と池田氏から教え込まれていると聞きました。
脱会者もその範疇に入るそうです。自分たちの信仰に賛同しない者、論評する者に
敵意の牙をむき出す、これが仏教の真髄でないことを私は信ずるのみです。

二軍の球場であう、おっさん、爺さん連中から、いろいろなことを口々に聞かれるようになり、めんどうくさくなってきた。中には二軍情報を特定のブロバイザーの掲示板で作り情報発信する中心人物の三十台後半の熱心なファンがいた。そのナイトの名詞をもらったときには、何のことかわからなかったのだが、
そのサイトには二軍の情報の掲示板のお題が並んでいた。「何とまぁ!」
「こんなこと知りたいんですか?」
「そうでんねん。それで、携帯使って書き込みしているわけですよ。ところで、〇〇の試合の経過教えてください」とか、詳細情報を知りたいファンから携帯のメールがいろいろ来るようになった。
「かなんなぁ!」

と、思っていたときにメールマガジンというのあるというのを知った。しかし、最初は独学だから配信の仕方が分からない。それで、悪戦苦闘していたら、雑誌の付録でメールマガジンのエディタ(html)のソフトがあることを知った。日々問われる苦痛に対処するために、始めたのが、二軍メールマガジンだった。携帯の進歩が後押ししてD社がTの二軍情報を携帯ソフトの売りにするようになった。それに伴って、私も約400人ぐらい(まぐまぐとその他で配信)読者がいたので、配信のための準備をした。HPは無料コーナー(後に楽天に吸収され、サイト消滅)で2002年に始めた。

やるなら、徹底してが信条だったので、情報量では、十分にコアなファンには満足してもらえたと思う。しかし、13号あたりを迎えたころ、圧力がかかった。それは、メディアを含めた、T球団の圧力と〇〇〇の圧力でもあった。当時は、ワールドカップ日韓共同開催された年で、世の不況風などどこ吹く風だった。時、2001・9・11のの翌年、スポーツに生活の不安はかき消されていたころだ。(注、別途見本末に添付)

〇〇〇の連中はT球団の新監督就任を党勢拡大にも利用し始めた。あの局のあのアナウンサーが〇〇〇かは、態度ですぐにわかった。しかし、T球団の末端の仕事をフリーとはいえやって入る以上は、やめざるを得なかった。次の年からD社が本格的二軍もスコアシートを一軍のように載せるようになった。そのことで、私はサイトの二軍情報で遊ぶぐらいで済んでいた。私がそのようなことをしたきっかけは、熱心なNという女性ファンの存在だった。彼女が立ち上げた応援サイトは、二軍の選手のソレとは思えない充実ぶりだった。そこに、コラムや読み物連載を始めて、限られた誌面でしか書けない余暇をきまぐれに、ただで、埋めていたのだった。

私は当時、糖尿が最悪の状態になり、〇〇ーも併発。早朝から6時ぐらい(早くて5時)まで炎天下の球場にはりつき、健康状態は、死ぬかも知れないという恐怖を抱えていた。事実、日々やせる私を見て、陰口は辛らつを極めた。どうせ、死ぬなら命賭けて。というのは不本意だけれども、観察力と集中力は、誰にも負けない気持ちでやろうという気になったていた。当時、サッカーワールドカップのビデオも何本かは残している。

さて、〇〇〇はすぐに集まりたがる、つまり類は友を呼ぶ傾向がることを知った。しかし、知らぬふりして仕事は割り切った。誌面に二軍情報がこんなにいらんやろ、ということもあったが、誌面を埋めるには、(編集長兼任のように)手抜きはできない。しかし、知らないでいいことを知りたくないので、その領域(新聞記者)には、距離を置いた。聞かれれば応える。その場に私しかいなければ、当然、私が誰が何をしていたか、見える範囲は見ている。

2006年に〇〇〇が二軍の代理監督になった。彼は優秀で会話も巧みで選手操縦もうまく、二軍を優勝に導いた。しかし、彼がした行動は理解不能な部分もあった。〇〇〇なフリーアナとD社のYのM・D(そのときは彼が本当は芸人記者?)とは気がつかなかった。存在を知らなかったのだから。

(彼女は〇〇〇ではない。しかし私も元妻も嫌いなS〇〇〇N・MとHしたので嫌いになった。しかし、関連サイトhttp://torayosa.blog.so-net.ne.jp/2008-07-23ドン・キホーテ流、ラ・マンチャの男型 統合失調症の妄想日記 [精神科医]最近小田急で色気で迫られたときは、困った。目の前、ホットパンツG。へそだし。化粧。本を読んでしのいだ。冤罪こわいもん。周防監督の映画思い出すでしょう。M・Mに「痴漢ですよ!」といわれるギャクならいいけどね。スルーパス。しかし、ほんねは嫌いではない。だから買ったCDは棄てていない)
私は個人的事情でこの仕事を年内でやめることにしていた。このとしには、身辺で〇〇〇のひとたちが出没頻繁な年で、2005年の選挙(小泉郵政民営化)と一致した。今度は都議選など地方選挙に加えて、参議院選挙も翌年に控えていた。〇〇〇らの利権一派は、あきらかにいろいろな仕掛けをしてきた。私はしかし、身内を巻き込むことに納得していないし、身内がいうのが正しいのなら、それに言い訳するのもめんどうくさかった。彼ら彼女らがそう思っての行動なら、その通りなのだ。


ただ、私がそうなると身内の弟でも信頼できないのはつらいことではあったが、やる以上はひけない。この2006年の春には、某スポーツ紙の新人女子記者も加わっていた。〇〇〇二軍監督代理の誘いはナゴヤだった。突然、食事に誘われた。〇〇〇女子アナフリーと〇〇〇YのM・Dが一緒だった。話の内容は書かない。ある仕掛けをだされたが、断った。その年、前年から、有名美女が突然、あんなとこに、こんな格好で現れた。自公の選挙の年だった。小泉が圧勝した。結果として、利用された感じで気分が悪かった。そこで、〇〇〇を利用したHの思惑はずしてやった。

とあるホテルで。私はヒッキーの『ぼくはくま』を購入してパソコンに転送。そのCDを世話になったタレント・モデル・女優のH・Aさんに贈る準備をした。お子様がいると聞いていたので。着せ替え人形がふたり現れたが、何が起っているのかよくわからなかった。もとより、二軍の雑誌記者に一軍の記者会見など直接は関係ない。http://torayosa03.seesaa.net/?1245005565←関連サイト

CDに簡単なクリスマス菓子を添えて、所属事務所へ送った。

YのM・Tが烈火の形相で私に何かを告げにきたが、私は「帰りますわ!」

と、ガード下の駐車場のクルマに乗り、高速に入った。

以後、その年の新人入団発表会の記事を書いて、おさらばした。彼ら〇〇〇の連中は当然、報復してきた。おそばはパァーになり、良く年「Baby Don’t Cry」となった。

そして、私は新宿に向かった。映画『NANAⅡ』は新宿で見たかった。さびしいクリスマスイブだが、平気だった。そして新宿で遊んだ。そこにヒッキーが待っていたことを気づかなかったことを後悔した。ヒッキーは〇〇〇と協力関係にあるが、それは母親が〇〇〇だったかららしい。しかし、私はヒッキーのLIVEにしびれた。その感受性の豊かさに感動した。このおじんファンに対するサービス精神にしびれた。松山公演にも行きたかったのだが、実現しなかった。そこで、私は秘密のUSBにLOVEを書いた。花束を添えた。

選挙になると、〇〇〇たちは、あらゆる手段で票を集める。かなりリスキーな手段で駆使して、私がなぜそのことを知るかというと、私の父の兄つまり叔父さんに、超熱心な創価=公明創世記からの信者がいた。子どものころから、お菓子につられて、叔父夫婦の養子の従兄妹に接近をされ、父が癌で入退院を繰り返すと、これ幸いと入信つまり、折伏をせまった。私が死に目に会えないときには、何と強引に数珠と鶴○セット仏具を置くという暴挙に出た。母も怒り、葬式は母側の信仰の浄土宗にしたが、その母も後に近所の〇〇〇の毒牙にかかり、悩み自殺未遂事件を起こした。私はその日、胸騒ぎしたので、駅まで行きならが、気になり引きかえしたので、長屋のこともあり、ガス充満が遅かったのと、タバコを煎じ呑んだが、苦しくて吐き出していたので助かった。しかし、従兄妹が選挙になると電話してきたり訪ねてきた。小学校の級友などの電話攻勢もあった。どこから調べてたんや、と、思ったものだ。


本当にひつこい。会社員のとき、私が勤めた会社の並びには元野球選手の信者の家があり、後に公明党国会議員になっていた。コネで入社の〇〇〇社員も入社してきた。この娘はいい子、信仰の話することなどなかった。好きなタイプだった。小百合ちゃんのLP(組曲・おばあちゃん)聴くためにH山の自宅まで行ったことがある。私はMにふられて、だれでも良かった。最初は〇〇〇と知らなかったので。知ってからは止めた。

この母が死んだときにも〇〇〇の連中は、仏具をいつのまにか、鶴○に変えていた。極悪非道で、私は母の看病で疲れ、病院の個室で寝ることも多く、家の仏壇を拝む余裕はなかった。もちろん、私は近所の浄土宗関連の坊主を葬式屋に紹介してもらい、過去帳と〇〇〇の本尊や仏具を神社で祈祷して処分した。知らぬ連中が葬式の日に集団で香典も置くことなく、来たときは本当に腹が立った。しかも、「ご本尊どこへやった」だと。ざけんな。弟の縁者にも〇〇〇がいたし、管理人もそうだったかも知れない、真相は知らない。有名作家だったが、私は一切無視した。入居のときにカーテンなどを斡旋していた。母には世話になっているはずだったが、葬式には来なかった。その後、母が死に結婚することを決めある結婚案内所へ行った。最初の相手が交際したいと、いえば結婚することに決めていた。その元妻の〇〇〇縁者を甘く見た。でも、素晴らしい息子をさずかり幸せだった。息子を巻き込んだ手口は、今後の政局次第では暴露する。


カルトはカルト、カルタちゃう。個人として良い人はいる。しかし、このような行為は選挙運動とセットになっているから始末が悪いのだ。嫌がらせの方法は動員などいろいろな方法があるが、〇〇〇系の本屋行くとその手の本がたくさん並んでいる。東京・信濃町はもちろん、あちこち、サブミリラル手段たっぷり。本当にしつこいわ。夜中の嫌がらせに警官呼んでも、その警官が(ニセのタレント名前知らない)ならシャレにもならない。

今日はこれぐらいにしといたる。6月4日にきたタレント。ギャクかませよ!少なくとも、笑福亭仁角師匠の後輩なら。がっかりしたで。せっかく面白いストーリー準備していたのに、Yの西の連中はつまらんコントやっている場合ちゃうやろ。脅しは犯罪や。わかったか。

「いい人はいいね」


ちゃんちゃん。

<><><><-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+TORAよさ>

スポーツ紙が知らない阪神タイガース若トラ情報!  NO.見本/2002/4.22/

     『TORAよさ全書』――――○○○○○○○

発行者⇔数詞 はじめ

スポーツ紙が知らない阪神タイガース若トラNEWS<><><><><><><><><><><><><>

……………………………………………………………………………………………
 目次

 〇週刊・若トラコラム(NO.1)>藤田太陽投手

 〇今週のファーム選手情報!

 〇連載ノンフィクション・ドキュメント

             月間>若トラ情報発信基地『いつも心に浜風を』

                textby/一陽来復(いちよう・らいふく)

……………………………………………………………………………………………

拝啓 藤田太陽 様

 貴方の出身地秋田市から田沢湖線に乗って私は「民族歌舞団わらび座」に良
く通いました。初めて訪れたのは27歳の春のゴールデンウイークの時期で田
沢湖線が秋田市から離れるにつれて、田んぼに根雪がびっしり残っているのに
驚きました。フリーのコピーライターになって初めての春、私は秋田の「民族
歌舞団わらび座」の活動に興味を持ち、訪れたのでした。仙北郡角館町の5月
の花見はそれはそれは美しいものでした。また、日本一透明な田沢湖とそこに
映し出された新緑の鮮やかさは、身も心も大阪育ちでいま吉野の田舎に住む私
にも脳裏に刻まれています。

 そして何よりも影響を受けたのは「民族歌舞団わらび座」のひとたちの明る
さと、初めてみた、民謡や踊りの数々でした。当時私は有頂天になり、わらび
座の運動会の応援団長までして声を嗄らし、楽しい旅を過ごしたのです。その
とき、教えてもらったのが、わらび座流?の「秋田音頭」と「ソーラン節」の
歌と踊りでした。とくに「秋田音頭」は難しかったので、大阪に帰ってから、
暇なときに大阪支部に通い習ったこともありました。

 ♪きったかさっさホイ!ホイサッサ!秋田名物数々あれど…覚えていた手踊
りや歌詞も今は、スグでてきませんが、きっかけがあれば、思い出すことがで
きると存じます。
 野球と直接関係のない話を書き連ねて何をいいたいのか、おわかりにならな
いとは存じます。しかし、わたしは4月18日ホークス戦であなたが投げた投
球に「秋田音頭」のリズムを口ずさんでいたのです。♪きったかさっさホイ!

ホイサッサ!(あっ、太陽のリズムってこれちゃうか)とひとり納得していま
した。4回に四番・吉本をライト前ヒットで出してからです。貴方は2球目大
野のバント失敗を誘いカウントを2エンド2とし三振を取りにゆき三振を取ら
れました。また、続く加藤にも初球、慎重にボールから入りファウルを打し、
カーブ、フォークで三振を取られました。七番・杉山は二ゴロ。5回はすべて
ストライクが先行し三者凡退。

 野球はリズムよく投げると守りもしっかりし、打撃陣の援護も受けやすいそ

うですが、五回裏にエバンス選手のご褒美の一発ソロがでたのは偶然だったの
でしょうか。
 当然、ご本人には不満はあるでしょう。調子がよくなく、前日の横田投手が
ラクに抜いたスライダーなどでカウント取る姿を見ていたファンには、変化球
でカウントがラクに取れない立ちあがりは不安定に見えたかもしれません。し
かし、その課題はご本人が教育リーグから一番の課題にし、新しいスライダー
を試しておられた過程でもあったのですから、勝ち投手(2勝目)になった、
という事実、無失点で6奪三振に抑えた事実には胸を張るべきでしょう。

 噂によりますと、MAX145キロは、走り込みで下半身を十分に作った自
分の成果がでていないとご不満でしょう。だけど、同期生の井川投手はスピー
ドガンと競争してはおりません。翌日の巨人戦で143球投げましたがMAX
は144キロだったと思います。スピードにこだわりは持つべきですが、スピ
ドガンに固執せず、と進取の気取りも大事かとも存知ます。事実、教育リー
グでは右打者のまっすぐかクロスして外角低めにあつまり、今年の太陽は違う
とファンに印象づけていました。

 ウエスタン・リーグとはいえ開幕投手の栄誉を担ったのは、もっとも期待の
若手投手ゆえのことでしょう。
 今年は日本全国、桜の開花が早く、角館町の桜も咲き初めているかもしれま
せんね。あなたが一軍ローテーション投手になれば、将来東北シリーズに秋田
遠征、八橋球場が加わるかも知れません。(ビジターでしょうけど)そのとき
こそ、故郷凱旋パレードで「秋田音頭」の声援が鳴り響くことでしょう。私は
絶対にその試合は見に行きます。いや、行きたい。わらび座の知人に声をかけ
て、ついでに温泉まで出ているという、「民族歌舞団わらび座」まで20数年
ぶりに足を伸ばしたい。

 貴方は安芸キャンプの一軍リタイア1号となり修行僧のような頭がピッタリ
似合う室戸キャンプでリハビリされました。ファーム宿舎の「明星」(あけの
ほし)前には若き日の弘法大師の大きな白い像が見つめていました。貴方はそ
の、お大師さん(弘法大師)と〈同行二人〉(お遍路さんはひとりでも「同行
二人」で弘法大師さんと共にある)で練習されたように見えました。朝の散歩
で貴方の坊主頭に朝日が輝き後光がさしたように見えたものです。

 青年弘法大師の手前には金ピカのお釈迦さんの涅槃(ねはん)像があり、や
はり朝日に輝いていました。おごそかな朝の散歩風景でシュールな感じがした
ものです。
 あまねく地球を照らす太陽、そのおおきな名前でまずはタイガースを照らし
てください。井川慶投手に続かなければならない投手の先頭を切ってくださる
ことを信じています。

                               敬具

数詞はじめ

~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^
《今週のファーム(4月16日〜20日》

~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^

◎4月16日対ホークス戦(甲子園)――早々と中止。名目は雨天中止だったが、
試合開始予定の2時間前にはすっかり雨も上がっており、中止の理由は、営業的
理由と、もっぱらの噂。雨ダスで正確な情報を得ているのに、鳴尾浜でやる予定
の日程を甲子園に変えたことで、ファームファンは選手のサインやサービスを楽
しみにしていたのに、球団は一軍の好調により、今季の動員目標に影響なくなっ
たファームは興行的メリットなくなったとの判断か。

ちなみに、ダイエー選手は室内練習場で打ちこみ練習するころには、グラウンド
コンデションは良好。

◎4月17日対ホークス戦(鳴尾浜)――昨日より悲惨な天気でどういうわけか
試合は強行された。15分遅れ、4回に中断しかも風と雨で寒いので選手がケガ
しないか心配の状況でなぜか、強行。ファン無視の営業姿勢に不快感覚えるファ
ン多数だったが、先発・横田が6回2失点。福原2回無失点、打者6人に3三振、
28球。抑えハンセルが15球投げ三者連続三振。

打つ方は、4回裏一死から七番一塁の新人・喜田がレフトへ1号3ラン(投手斉藤
)、5回には平下、桜井、関本の3二塁打で3点追加など8対2と快勝。
喜田は、外野フライ狙いで斉藤の速球に負けない振りで強く叩いたことが、風に流
されずにレフトへ初本塁打となった。

◎4月18日対ホークス2回戦(鳴尾浜)――藤田、松の投手戦で始まり5回裏に
六番エバンスが風に載せて3号ソロ。6回には岡田ファーム監督の超英才教育プラ
ンで開幕から三番を打つ桜井がカウント2―3から松のまっすぐをセンターへ強烈
なライナー、そのままフェンスを越し2号ソロ。衛星中継のGAORAスタッフを
喜ばせた。藤田は5回投げ66球、4安打、6三振、無失点。部坂2回無失点、山
岡1回無失点、抑えハンセル9回に不調で3連打で1点取られるも、後続を絶ち2
対1辛勝。


~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^
月間>若トラ情報発信基地『いつも心に浜風を』  textby/一陽来復
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第1回 新井亮司とミスタールーキー桜井広大(その1)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ルーキー桜井広大出現!

 新井が突然、声をかけてきた。2月2日室戸キャンプ2日目の昼の休憩時間
に少し顔を合わしたときだ。
「桜井のことばかり、褒めていたでしょう」「いや、そんなことはないよ。た
またま、知り合いのファンが話かけてきて、ウンウン!うなずいただけですよ」
新井はさらに突っ込んできた。
「ボクの入団のときと、桜井とどっちが上ですか」
「そりゃ」と少し間を置いて、
「桜井ちゃうかな!」といわざるを得なかった。

 キャンプ2日目とはいえ、桜井は平塚ファーム打撃コーチが投げるゆるいト
スにも体をつっこまずに、きれいにネットにティーを打ちこんでいた。それを
見た目利きのファンのMさんが「うまいこと、ゆるい球でもティーしとるやろ。
新人としてはうまいよ。ワシら感覚的なもんしかよういわんけどな」と言って
いたのが、ネット越しの新井の耳に入ったらしい。

 新井は2002年1月の鳴尾浜での自主トレから、新人の入団をチェックし
ていた。当然である。2年目の昨年、無邪気に「ボクは濱中さんのようにファ
ームで四番を打って、チームの勝利に貢献したい」と意気込で臨んだシーズン
だった。しかし新人・梶原康司(九州東海大)の入団によって、その目論みが
見事にはずれた。そして、奈落の底に落とされたような落ち込みを経験してい
た。
「だけど…」
 私はためらいながら「新井君の教育リーグでの北神戸での、あのホームラン
見てしまったからな」と言った。

「あれ、見てたんですか」と新井の表情が輝く。
「ウン、見た。オリックス開幕投手候補の小林から打った左中間のホームラ
ン、新人の高校生とは思えない当りやった」
 一昨年の3月25日サーパス神戸戦、北神戸のあじさいスタジアム、球場開
きの試合で左中間にライナーで放りこんだ当りで、タイガースの新井は長打力
がある新人高校生のイメージが定着しかかった。
 小林が開幕への調整登板でストライクを取りにきた2球目ストレートを放り
こんだ素質はタイガース待望の右の大砲候補にふさわしかった。
 冒頭の桜井(PL学園・4巡目)は2年で夏の甲子園に出場している。3年
生時は不祥事で対外試合禁止になり、チャンスをのがしていたが「あのPLで
もまれてるからな」と言ってしまった。

 新井は新人が合同自主トレで入寮したとき、鳴尾浜の室内練習場で桜井、藤
原の存在を気にしていた。
「桜井は背は大きくないでしょう。藤原さん(立命大・6巡目)は長距離砲と
いわれてきたけど、去年の梶原さんもそうだったでしょう」と私にさぐりを入
れていた。そこには、飛ばすことにかけては、負けないという自負が込められ
ていた。

~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^~^

室戸キャンプが始まる

 ファームが春季キャンプをする室戸の広域運動公園野球場は絶景の室戸岬
望台の少し西の山間部を切り開いて造られた。「2002年よさこい国体」会
場のひとつになる球場だけに、両翼100メートル、センター122メートル
で、ファウルグラウンドもたっぷり確保された立派な球場である。昨年は未整
備で芝生のつきも悪かったが、今年はサブグランドの土も整備され、投内連係
などの練習にも支障はない。また、ブルペンも一塁側に新設された。
 2002年2月1日、ものすごい星野監督人気でマスコミは安芸に集結して
いた。しかし、今年も室戸はマスコミは少なく、閑散としファンもちらほらの
中、キャンプ初日を迎えた。

 アップの指示を出す中山トレーニングコーチの声と選手の掛け声が響くだけ。
特別大きな声というのではない。静かなスタートだった。昨年は初日、前日の
雨で体育館でアップ。室内でのフリー打撃で、岡田ファーム監督がいきなり、
根本相手に投げて、チームを引き締めていた。
 キャンプ初日を終わって報道陣に一、二軍の人選を問われると「これは、振
り分けや。一軍より力ある選手もおる」と今岡や坪井や八木などを念頭に置い
てか、岡田ファーム監督が少し語気を強めて語ったところに、昨年のチーム事
情の複雑さを垣間見たものだ。

 しかし、今年は何度も島野ヘッドコーチはじめコーチ会議で打ち合わせして
の一、二軍の人選だった。しかも紅白戦では、常にファーム選手にもチャンス
を与えるシステムが採用されるということで、チームの一体感がでていた。
 プロ入り初めてのアップ中に新人・喜田(福岡大・7巡目)が足をひきづっ
て、不名誉なリタイアをした。
 しかし、新人の桜井は元気にアップを終え、ベースランニングやペッパーを
こなした後、フリー打撃を迎えた。

 今年1月11日、私は桜井を初めて近くで見た。背は180ぐらいだが、肩
幅がひろく鋭い目つきに「さすがPLでもまれたワルだけある、迫力ある」と、
思ったものだ。また、目の前で見たティー打撃がとても高校生出身とは思えな
いフォローの大きなスイングだったので、印象に残った。その横では早稲田出
身の東(9巡目)がティーを打っていた。
(以下次号)

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞      
  メールマガジンの登録解除は、まぐまぐ解除のページ
  ( http://www.kaijo.com  )
        でおこなうことが可能です。)
☆★☆★☆★☆若トラ情報基地『TORAよさ全書』  ☆★☆★☆★☆★☆
  
E-mail  sushi91tora@hotmail.com

                                                                                                                                          • -

このメールマガジンは、『まぐまぐhttp://www.mag2.com/ を利用して発行
しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089818.htm からできます。

                                                                                                                                          • -

このメールマガジンmelmaからも発行しています。解除はhttp://www.melma.com
(00064561)からできます。