「どうした松坂大輔!」江上波夫から松坂大輔へのエール!!


http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20090608009.html(松坂4敗目)
オレの尊敬する江上波夫先生著作集『古代と現代との対話』(平凡社)の中に収録の「都市について」(『世界』1962年11月号)のエッセイから。

江上波夫先生いわく都市には「市民の都市」と「王者の都市」という概念がある。そして、ローマの水源地についての視察旅行の体験談から「市民の都市」ローマを描く。驚くのは当時のローマ市の水道は水源地から直接、市民に水を供給しており、水源地はローマ市から150キロのアペニア山脈の真ん中にあったという。以下引用。112ページ

《私たちは案内されて岩山の麓に開いた坑道のようなところの奥に入っていった。電燈がところどころに点いているので分かったのであるが、その坑道のような岩のトンネルのなかに、ガラス張りかプラスチック張りの、もう一つのトンネルが通っていて、私たちはそのなかに敷かれた板の道を歩いているのであった。そうして足下には淙々(そうそう)たる音を立てて多量の水が流れており、案内人の説明によれば、この水は岩山の真ん中からの湧水で、絶対無菌であるが、その水の湧出状態を観察するために坑内に入る人々によって水が汚染されることを防ぐために、このような二重のトンネルが設けられているのである。》

湧出地点は直径20メートル、楕円形の池で休みなくトンネルに流入する仕組みになっていた。「水位を測る標識」が器具らしい器具であったという。東京オリンピックを2年後に控えた時期のことだった。

そこで江上波夫先生は、わが日本でも富士山の地下湧水鉱脈を見つけて、直接東京に無菌の水を送ることを夢想しておられた。しかし、現実にはペットボトルに入り、500ミリリットル150円で売られているのが実態だ。広大な都市の水道施設は立派になったが、その莫大な設備投資にみあう、市民的利益が得られているのかどうか、はなはだ疑問だ。

さて、「王者の都市」の代表にモスクワを挙げ、機能主義、モニュメント主義であり地下鉄や宮殿、高層アパート群に《「二十世紀のデコレーション・ケーキ型王都」》と書かれていた。

松坂大輔の応援エールは?
もう少し待ってください。121ページ引用

《さまざまな国の、いろいろな都市を歩き廻って気づくことの一つに、憩いのある街と憩いのない街がある。憩いのある街というのは、道を歩いていても、店に入っても気楽な街の雰囲気が何となく感じられて、不思議に楽しく、ゆっくりと落ち着けて、数年間この街で呑気に過して見たいというような気持を自然に起させる街である。そういう都市の多くは「古都」というにふさわしい歴史の年輪をもち、街の構えも何となく鷹揚で、樹木も多く、物静かな美しさがあり、喫茶店、古本屋、古道具屋なども多く、伝統的文化の魅力にも富んでいるが、けっして過去の街ではなく、古い幹に新しい花を咲かせているといった都市である。》

戦前の北京、パリ、ローマ、フィレンツェ、ウイーンなどヨーロッパ各都市に加えて、アメリカではボストン(やっと出てきた)、メキシコシティサンタフェを挙げておられる。日本では京都、奈良以外では、金沢、松江、岡山、長崎、高松、那覇、函館、名が。いまは昔の都市もある。

江上波夫先生のエッセイにあるようにボストンはアメリカの都市のなかでは、珍しく「憩いのある街」生気を養うのに申し分のない街であるということだ。いまも、ボストンはそういう伝統が生きているから、モンスターが球場に残っており、精神衛生的にも、メジャーリーガー松坂大輔ボストン・レッドソックス選択は最良の球団だったことをいいたいのだ。これがニューヨークやシカゴだったら、ニューヨークにはターミネーターが降ってくるし、シカゴならかつて、大リーガー木田優(現ヤクルト)が入団会見でおどけたように、ロボコップがでてききて、常に犯罪があり落ち着かない。デトロイトなら、モンスターGMでも破産した。

オレは松坂大輔のファンである。甲子園でプロ入り99勝したときのサイン入りの(入団時のビジター)レプリカユニは、宝物としてコレクションしている。吉永小百合サイン色紙と同等いや、松坂大輔の活躍次第では、それ以上の価値を持つとオレは思っている。その阪神タイガースとの交流試合で、キミは完封のおまけに本塁打まで打った。キミはまちがいなく、スターだ。

キミの低迷が悲しい。オレが見ていようが見ていまいが、キミはボストンという最良の球団を選んだのだ。もっと生活を楽しんでくれ。いや、幸せ過ぎて低迷しているのだとしたら、ぼちぼち、もう一度、「幸福の条件」をかみしめくれ。もちろん江上波夫先生の説は直感的であり主観的である。しかし、憩いがある街の方が精神衛生にはいいのは確かだ。たまには家族でボストン美術館行くぐらいの精神的なゆとりこそ必要なのではないか、と、松坂大輔愛好家として、江上波夫先生はいっているように感じてならなかったので……。的はづれなら、ごめんなさい。